私はいかに
外に力を
与えながら生きてきたかなと
思った。
私は私という
そこにこだわる気はないけど
ただ、みんなと一緒になってもいいし
私だけ違ってもいいけど
それって外から見たことの表現であり
視点の位置がそもそも違う話だから。
「私は私」は
視点が自分に備わってる。
だから大きくちがってる。
落ち着いて深呼吸して
自分のしたいこととか感覚にフォーカスしていれば
自然とそうなるんだと思う。
誰かからみて、こう、だとか
客観的見るとこう、だとか
究極必要ないのかなと。
もちろん、迷惑かけたり不快にさせてしまう要素は
できるだけ、意識して抑えた方がいいと思うけど
そこだけ少し気を付ければ
まあ、いいんじゃないかと。
よほど
自分を見失った状態でなきゃ
いいんではないかと。
自分に自信がなくなり
不安に揺れる時は
他人の言葉や
占いやら
そんなものを一時的に信じて頼るかもしれんけど
実際
完全に、自分だから。
自分が前に進み
行動し
経験して
体験して
全身の感覚を使ってそれを体に刻む。
自分だけの体に
自分の力で刻んでいく。
他の誰でもない、自分だ。
自分で何もしないと
自分には何もない。
他人に感謝とか
それは別ジャンルの話よ。
これは根本の話だから。
自分が自分で独立した感覚でしっかりしないと
他人にも本当に感謝できないと知った。
なんか昔は
もっと私は自分自分で生きてたことを思い出す。
他人には感謝が足りなかったのが
今と違うけどね 笑
これはきっと
「私は私」でなく「私は人と違う」の方の意味合いで
「自分自分」で生きてたからかもしれないな。
大きな違いだ。