おばあちゃんのこと④+犬のこと | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

おばあちゃんのこと自体は実は問題じゃないのかもしれない。


確かに施設に遊びに行って顔を見せることは大事だから

今度しようと思う。


しかし、

本題は違うように思った。



夢で泣いた理由がまだ書いてない。そういえば。


私はもう一つ思いがある。


昔飼っていた犬が死んだことだ。

中学2年くらいからかいはじめた犬。

雑種でかわいかった。

後ろの足が片方悪くて(生まれてすぐに飼い主に踏まれた)

いつもびっこ引いてた。特に冬はびっこがひどくなった。


甘えん坊で常に私の膝に乗ってた。

脇の下から鼻をツッコんできて私に撫でられることが大好きだった。

本当にかわいいやつだった。


でも私は高校に行き、外で遊ぶことが多くなって

犬への関心が薄れてきた。

かわいがってはいたけど、【え~散歩?めんどくさい】というような感じになった。

それまでは自分がすすんで散歩してたのに。

そこには罪悪感が、今でもずっとある。


そして、短大。同じ。

就職、それとともに家をでる。

もう散歩もないし月に2~3回、夕方に実家による際に撫でるだけ、という関係に。

そんなときもあの子は私の膝に乗って、かわいかった。


そんなかわいがり方でしか

最後の方は接することができなかったのに。


でもあの子が死んだとき

ものすごいショックに襲われた。


今も書いてて泣きそうなくらいだけど

半分泣いているけど

でも2年くらいは思い出すと涙がダーッとこぼれて止まらなかった。


あの子が死んだとき

死んだ体に触れたとき

骨を感じた。

あんなにやせて死んだ。

私は最後のお世話をできなかった。というかする気もなかった。

仕事やプライベートにかまけて

心配はして毎日電話してたけど

実際何もしてない。

母が、漏れる便をとり、後ろめたい表情のあの子を世話した。私じゃない。

私じゃなかった。

だから私は自分を責めたし、私はダメだと思った。

でも悲しみは自分を責めるものだけでなく、単純にあの子が死んでしまってもうこの世にいないという事実によるものがほとんどだった。


あの子が死んだこと。今も悲しいんだ。


責任がある。動物を買うというのは責任がある。

それを知った。


私は旦那の実家の犬をあまりかわいがらない。

犬は好きだ。でも、またあの悲しみを味わいたくないから嫌なんだ。本当に嫌だ。

だからあまり深くかかわらない。愛情をかけない。

自分を守りたいからだ。私はもうあんなに悲しい思いをしたくないのだ。

たぶん、義理の親も「なんか冷たいな」と思ってるかもしれない。けど理由があるんだ。


私の悲しみは深い。

予想よりも深い。自分でそれを知った。