退屈を安易に埋める | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

退屈だと


[不安]になるらしいなあ。



しょうがない。



私はそういう人間なんだと


理解しよう。



退屈だと

何かで自分を埋めたくなる。



何で埋めるかはいつでも選択できる。


[不安]を選ぶ理由は

目の前の世界の中から

材料を見つけやすく

安易に採用で来て

ふくらますことが容易だということから。




実は基本、なんだっていいのだ。

楽しいことやワクワクでも

期待でも、興奮でも

不満でも、心配でも。



なんだっていい。


でもたとえば

誰か身近で愛している人が死んだとき


自分の中身を自由に選べるかって

きっと選べない。


選択できないまま

悲しみに支配されるだろうな。


でも、実は

あるタイミングから

選択できるようになる。


だけど

そこに「悲しみ」を採用しない自分に罪悪感を持ったり

悲しまなくてはいけないとか

気にかけなくてはいけないとか

そういう見えない呪縛によって自分がそこを自由に選択できない状態が

いちばん困りものである。



基本、選べる。


恐ろしい悲しみや

恐ろしいほど大きな苦しみが

襲わない限り。


しかも、もし仮に大きな悲しみや苦しみに襲われても、それも永遠じゃない。


やはり

選べるようになる時が必ず来る。



私は退屈しているんだ。

暇なんだ。


私の場合、目の前の世界が

子供のことばかり。


子供を一番に考えて子供といる世界を大事にしているから

子供のことを題材に感情を起す。


それが容易だし。

子供と向き合ってるような気分になるし。


そういうことだ。