私はマニアックだ。
気になるとそれを意識して生きる。
カナダ人と付き合ってたことがある。
英語しかしゃべれないカナダ人とコミュニケーションとりつつ
2年間も付き合うことができた。
理由はなぜか。
それ以前に、(付き合うとかの全然数年前のこと)
アメリカの好きなDVDを見まくり
毎日毎日見まくり
聞きまくって
意識して単語も聞き取り、意味が分からなければ辞書を引き、
彼らの生の英語を生の意味で聞こうと努力したからだ。
これは洋画やアメリカのドラマが好きこそものの。知りたかったという追求心。
私はこれが強い。
今もはまっているものがある。
それはこの「人間という生き方」そのものだ。
その真理だ。
初期はいろんな情報を外部から得る。
刺激になり発見になる。
しかし、それがすべて自分の世界に合致しないことに気づく。
それから、だ。
矛盾があれば新しい
きちんと納得したロジックを自分で見つけ出す。作る。
それは自分の体験で作り出すもの。
だから変だと思えば私は簡単に自分の納得するものを
自分の中に創る。
最近思い通りになるとかならんとか
現実創造だとか
そんなものに
何か違和感を持つ。
現実を変えるとか
創るとか
本当にそんなこと
その気になってるだけで
実は最初っからきまってんじゃないの?
てのが私の最近。
そのロジックは人それぞれだろうけど。
現実がふにゃふにゃ、今も動いてて
目の前で変化して、なんてあるのかねえ?
今しか目の前にはない。
なんだろな。
変だよ。
現実を変えるとか作るって。
おかしいよ。概念として。
いいんだけど。そう思ってても人生は進むし、それも可能だから。
そう思い込むことも全然可能だもん。
私も駐車場が空いてるとかあいてないとか
自分の心次第で変わると思うし
どうせだめだと思ってる人の前にはダメな現実しか来ないと思うんだけども
それって単にその現実にフォーカスできないからであって
目の前に駐車場がいつも空いてない人は
空いているときの現実に目を向けて
「空いているときもある」と認識できず
また「空いてないだろう」としか思えないというか
思い癖というか
ぼけ老人というか
そんなもんなんじゃないか?
盲目的になっててフィルターが詰まっていると
認識できない現実が多いだけでさ。
幸せは探すものでない。もう実はそこにある ってのも
そういうことでしょう?
「現実創造」し続ける人生って
やっぱ
スピリチュアル大好きでそれが好きな人の見る現実なのではと
そういう風に思う。私もそうだったからさ。
でも最近、気づいたなあ。
現実を作るというより、視点が上がることにより
体験する領域を広く選べるようになるだけじゃないか?
現実創造と呼ばれるのはあくまでその範囲内で
活動領域が広がるとともに選択範囲が広がるだけの話。実は同じところにいる。
フィルターの目のつまりがとれて、空いている駐車場を見つけるのがうまくなったり
タイミングを見て、車がでそうなのを見つけるのがじょうずになるだけのことではないかな。
そのほうが私のロジックに合う。
完全マッチ。現実はつくるものではなく
選ぶもの。