昨日
寝る前に、ああそうかあって気づかされたことがいくつか。
そのうちの一つをここに書く。
昨日半現状態で、自分との対話をしていた。
そしたら、今の現時点の私は
私の母と同じように
日々の変化を大きく望んでなくて
毎日驚くようなことより
予測できる決まったパターンを繰り返す毎日の中で
ちょっとした喜びを見つけていく。
そんなこじんまりとした生活を自分で好んでいることが分かった。
口先とか
手先では
変化を望む。とか毎日楽しい刺激とか
そんなことを言いつつ
実際はそんな変化は
対応しきれないし
予測できないことがこわいのだと。
ただそれを自覚したら
どう変わるかはわからない、と。
あらま。
全くそうだわと。
予測できるパターンの中で生きるのが
どんなにか安心していられるかと。
私は本当に
その安心を常に求めて生きていた。
その安心を死ぬまで求めていくもよし。
でも安心しなくても
その場で対応できるしなんとかなるし
生きていけるよと
そんな風になれば、それもいらない。
ただ
今現時点の私は、矛盾があって
「変化、刺激、転換」とかいろいろ表では求めているようだけど
内部では「安心、予測可能、確実」を繰り返し繰り返し
生きていたいのだと。
どっちも本当の気持ち。
でも、一回どっちかに揃えないと、どこにもいかない。
当たり前だけど、揃えるなら、内部に。
私は予測可能な現実を安心して確実に生きたい。
それが望みだ。繰り返し繰り返し
予測できる日々を生きて、その中で小さな変化の喜びを得たい。
それがベースだ。と。
そのもとになってるのは気質。性質(DNA)もあるし、記憶もあるだろう。
もしかしたら記憶だろうが、DNAレベルだろうが
変えることはできるかもしれないけども。
矛盾のない状態になってそれでも変えたいかを
一回そこで自分に問うてみよう。