持ちたくないものは他人に持たせるのか | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

人の犠牲になる人生


そんなのありかしら?


でも

客観的に自分の記事を

読み返したら


やっぱり旦那に邪魔されたいみたい・・・。


それで自分の均衡をたもってるっぽい。



どういうことか。

やっぱり

そういう部分がまだしっかりあるんだよ~


別に気づきたくないならそのままでいいけど

見せてあげるねえ~ってことで


あいつで見てるに過ぎないんだけど。


よくわかるわ。

今。



今日の朝

余りにも息子がだらだら準備してて

私おこった。


怒ったとき

まるでだんなそっくりだった。

言い方すらそっくりだった。


ああ、こういうことだよね・・・

全然さ。

人間出来てないよ。


それなのに旦那をさ、言えないわい。


でも、

結局そういうことだよな~、と。


でもそうやって

旦那に自分を投影しまくってるわけで


結局自分でも、あの人が緊張とか不安とかを与えるから

逆に安心して

力を抜いていられるのかもね。


やはり

不安や緊張は必要なのかもしれない。

だから、自分でそれらを持ちたくない、と選択しても

誰かに現れて私に見せるわけで。



やっぱ人間に生まれた以上

ある程度レベルはあるだろうけども

多少の不安、緊張を持ち合わせるのは自然なのかな。


それを認めば

受け入れればきっとまた変わるんだろうな。