記憶の飴記憶の中の感情という飴をいつまでも求めて生きるのは止めた。その飴を避けることも求めることと同じ力がかかる。飴を「選ぶ 」ということでは同じ集中力を使う。だから、拾うも拾わないようにする、も、同じ力のかかりかただから拾うとか捨てるとか行為自体なんて意識上では全く、区別が無いのだ。フォーカスしたかしないか、それだけ。自分で、書きつつ、超納得。わかりきったことだけど、そうだ。もう、記憶の飴はアミューズメントくらいで結構どす。