今日、学校の友達と話をしていたとき
「monaさんのタイプってどんな人?」って聞かれたから
「デンゼル・ワシントンとか好き」って答えた。
なんで好きなのかと聞かれたから
その場にいるだけで完璧であり
カリスマであり、場を変えてしまうほどの存在感がある、と答えた。
「じゃあ、実際、現実的にはどんなタイプがいい?」ってことで
「場の雰囲気を変えたり、持ってったりすることを自然とする素敵な人がいい」と答えた。
そしたら
「monaさんも、そういうタイプだよね」と
あっさりと彼女が言って驚いた。
うーん。
でももちろん、当たり前だけど
デンゼルのような存在感もカリスマもないだろう。
場を変える?
そんな風な自覚はないが
場を守ることは
自覚があるかもしれん。
そう思った。
よく昔から私がいると安心だ、と
多くの人に言われてきた。
家族、上司、部下、同僚、旦那、友達、義両親にいたるまで
なぜってきっと
何にも寄りかからない(ように見えたらしい)
一つの柱だからかもしれない。
正直言って
今通ってる学校でも、私がいるおかげで
けっこう、先生は楽できたんじゃないかと思う。
なんでかって、言葉にはしづらい。難しい。
私は何事にもしゃしゃりでないし
そういうのは好きでもない
怠け者だ
でも、面白いことは好きだし、人間は好きだ。
誰にもいいとこがあって「悪い」と言われがちなところだって
裏にはいいとこが隠れてるからそういう面がでるのであったり
恐れや不安がそうさせてるのであり、責めるとこではないとそう感じて生きてる。
だから、私は
濾過できる。
さまざまな人を。
だから皆が私になんていうのか
一目置いている感じの状態なのだ。
なんて言うのだろうか?
ちょっとちがうのかなあ?
親しみは持たれてると思う。
なんていうのかなあ。
25歳の血気盛んな男子が40代半ばの理屈っぽいおばさんに絡もうとしても
大事にならないし
27歳のちょっと自分勝手な女の子が、暴走しすぎないことも
40代半ばの問題のおばさんが、何か仕切りださないことも
そういうことによってヤングたちの反感を買わないことも
私が守ってる部分がけっこう80%はあると自負してる。
なんでかって私というものが
1つの中継地点というか
何かになってる感じがするからだ。
そんで
その私が
みんなを濾過してるから
問題は起きない。
今までのクラスは半年コースでいつも争いごとばかりだったそうだ。
だから先生は、面接でも説明会でも、そればかり気にして「周りの人とうまくやれますか?意見は聞けますか?」とかしつこく聞いてたわ。
今のクラスに争いがなく
べたべた感もなく
皆が自然に仲がよく
そんな感じであり
オタクくんも変わったちゃんも、キャバクラ姉ちゃんも、スポーツねえちゃんも、やんちゃくんも、かんちがいちゃんも、プライドさんも、みんな
みんなが
力抜けていい感じ。
先生に感謝してほしいわ~。とか言ってそう思ってるのは
私だけか?
ははは
でも、これはただの事象としてそう感じている。
不思議だなと。
その場の雰囲気を握る人間は必ずいる。
それが私だということだ。
あのクラスでは。
私の発言や態度、そんなものは周りのみんなの潜在的なものに影響してる感はある。
みんなそんなに聞く耳持っちゃだめだよと
思うくらいに。
別に八方美人決めてるわけじゃなくて
自分を心地よく生きたらこうなっただけなんだけど。
きっと私と同じ感覚の人はいるはずだよね。
なぜか頼られ
なぜか中心的になっている不思議。
別に何もしゃしゃり出てないのにだよ。
本当に
高校の時に初めてこのミラクルを味わったのを思い出した。今。