一緒にいることが愛 | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

というわけではないね



友達と前に

一緒にご飯食べた時に

自分が子供を保育園に預けて子供と一緒にいないことを自分自身で責めるという話をしたら


そういわれて気付いた


「一緒にいることが愛情表現だと思っているんじゃない?」と


でもそのとき

ああ、そうかも

一緒にいないと愛してないみたいだ、と思っていると


そして

一緒にいない=息子を十分愛してない=息子が不幸=私は悪い奴


という図式だったわけで

納得した



そして今日思ったけど

私は母親から愛されているという感覚がそんなになかったというか

まあ

彼女は「うちにいる」「料理する」という形で私に愛情を示してくれていたというか

それだからこそ

自分もそれが母の愛と

思っていたんだなあと



抱きしめて「大好き」とかないし

愛を語られたこともない

でも

自分が大事にされていることも知っていた


それは彼女が

自分のために家にいてまっていたり

自分のためにご飯や弁当をつくってくれたから



結局自分の親に通じるのよねえ



私は違う

私は、私の母じゃない


息子には

毎日抱きしめて愛を語る

そして一緒に遊ぶ

まあ母も私と遊んだけどさ


でも

子供はどんな手段でも愛を感じればいいのだ


ただ

手段はどうでもいいんだ

どんな「かたち」でも


と

思ったら少し楽になった



もちろん毎日一緒にいたい

毎日一緒に遊びたい

そして一緒に寝たいけどね