選択しているという幻想 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

人は相対的に

多くのものから

自分のニーズや条件にあったものを選んで暮らしているという幻想を持っている


でもそれが当たり前


車でも

カタログを見たり現物を見たり


何がいいかなんて

第一印象で決めたつもりでも

実際にその車屋にいって話を聞いていると、違う車がよくなってくるってのは

よくある話



で、最後には全然違う車買ってたりさ


じゃあ、最初にこれだと思ったのは

どうなんだろうと思う


ねえ?

あくまできっかけなんだろうね


私のいってる学校のWEBデザインの先生は

飲食業がしたいんだって

それでそっちばっかりにいたのに

たまたま飲食の人からデザインの仕事頼まれているうちに

そっちの比重が高くなって

そっちで生計立てるようになっちゃったっていう顛末をたどってて

でもやっぱり飲食が好きなんだって


きっかけなんてわからなんし

きっかけのあとにあるものが最終決定ではないよね



その車を買ったからこそ

次の車は今度これにするって

またつながってくるから

どこにも終着地点がないというか



きっかけもなにも

どれが結果でも

どれが正しい道もない


これだな、と思ってる

最初の車

それですら

本当だし

そのときは「それ」と思ってていいのだ

間違いではなかった

思い込みじゃない

そのこれだな、と思ったことが

次に「つながってる」のだ


それが自分のなかの地図の道


で、シンプルな人は

そういうのないかも



多くのものから選んでいると思う方が安心して生きて行けたり

こっちではない

そっちでもない

ああ、じゃああっちだと

確認して

気に入らない道をまず踏みしめてから

気に入る道を進む者もいる



生き方ってそれぞれだから

そんなものだけど


明日のご飯どうしようってさ

思う時さ


これもそうなのかしらって思うわ(笑)


たとえば明日ハッシュどビーフにしようって思ってて

スーパー行ったら

麻婆豆腐になるとかさ


わからんけど


明日のメニューって考えるのめんどくさいわ

本当に

スーパーで考えるわ