当たり前③ | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

人によっては

年を取るということは
「当たり前」を欠いていくこと 

というかもしれないね


若いうちは
当たり前のことが多いから
だからこそ
いろんなことに挑戦できる


健康だし歩けるし
食べれるし
気力もあるし


当たり前がどんどんなくなっていくのは
老化そのものなのかもしれない


当たり前って
いいね


「当たり前と思うな」という人もいるが

当たり前と思わないと
いきたいとこに進めないときも

必ずある



もっともっと
高みに上れるはずなのに

下を見て
落ちることを考え

「ここまで落ちないで上れたことは素晴らしい」と
そんな風にいちいち
下見て場所確認したりしながら登ったりさ

そんなことする人は

高みに上れない

落ちる、なんて発想が
頭の中にかけらもない人ほど
一気にためらいなく上る


もちろん
その後
落ちた人を見てハッとして
落ちることもあるんだ?!え~?と
初めて気づくこともある

その上で
落ちることもあるのに
わたしは落ちなかった
…よくかんがえたらその可能性があったのだ
落ちることが怖い

と落ちることを避けようとする力みが入ったとたん
落ちることもある


そう考えると
えーと

本人のゲームだから
下見ながら登るのもありなのかな?

私は
下見ながら登るのすきじゃないけどね

盲目的躍進で
信じていく


自分の目指す高みに登るなら
私はやはり
「当たり前」を活用する

いちいち
健康なときに
病気になったときのこと思い出して
健康に感謝しながら意識して過ごすより

その健康であることの「当たり前」を
自然に受け入れて無意識下に置き
それ以上のことを
つまり
健康であるからできることのゲームのゴールを
楽しむのがいい

「健康」自体がが「ゴール」になってるゲームなんて
つまんねえ


ホント
「当たり前」って
「当たり前じゃない状態」に気づくとリッチな気持ちになるけど

それって本当にいつでも必要かね?
いらんでしょ
周りにないものをみて
自分にあるものに感謝するなんてね


こういうのを「二元性」って言うのだよ
人間として生まれた以上、逃れられないものだけど
うまくいけば理屈ぬきで無視して生きることもできる