人は
自分の気持ちだけを求めて生きている
つまり
物質的な世界に対するニーズは移り変わって
当然のこと
だからこそ
身近なところで
自分の快感を得られるのなら
それで満足もできるということだ
じゃあ
なぜ
水泳でオリンピックを目指す人もいるが
家の中で主婦として外で働かず一生過ごす人もいるのか
どの「対象」を使って
その気持ちを得るかが違うだけだと思う
そして
快感の強さ(感動の大きさ)
それも
反動が強いほどに大きいので
ふり幅の大きな人生の設計にされているかたは
ふり幅の小さい人生の人より大きな感動を得ることが出来ることは確かだ
対象は
どうやって決めるのか?
北島浩介が
家事や子育てに
あのパワーを費やしたら
どんなものか
…すごそうだ
だけど
家事や子育てを頑張っても
誰も表彰してくれないし
テレビにも出ないし
世界に名も知られない
その刺激はない
試合前の緊張感
あんなもの
主婦の生活にない
そういうことだ
結局そういう刺激を求めるタイプと
そうでもないタイプがいる
穏やか主婦は
そういう穏やか人生を好むわけで
緊張感なんていやあ~!とか
どんな意味でも有名になったら困るでしょ!とか
思っているわけで
結局望んだとおりなのである
そんなわけで
じゃあ
どの対象って
自分の気持ちの高まりや快感、期待を得ようとするか
その「対象」をどうやって決めるのか???
水泳なのか?専業主婦なのか?
それはその人のもともとの性質と
育ってきた環境、経験が
決めていくと思う
もちろんひとつではない
移ろうように
対象を変えながら生きるのが普通だと思う
では
今は何なのか?
子育て
とか
仕事
とか
趣味
とか
いろいろだよね
でも
パチンコだけでも
結構遊び心は満たされる
一生パチンコだけしていてもいいような気もする
だがっ
やっぱり基本
人が好きなので
人と交流したい
だから
バランスが大事だなあと思う
めんどくさがりで
人好きの人嫌い
変わらないんだ
結局
何を知っても悟っても
本質は変わらない
個人作業を好み
自分の会いたいときにのみ
会いたい人に会う
お愛想の付き合いは真っ平御免。
家族や内輪を大事にして
仲良くする
大事なものは良くわかっている
一般的集団の中では浮き立つが
ジャンルの違う個性派集団の中では馴染む
女より男が楽
そんな私は
これから何がしたくなるのか?
すでにしていることを違う形でしたくなるのか?
わかんないけど
その人によって
対象は全く違うということだよね
掃除に快感も覚えないし
料理もめんどくさいし
私はてきぱき専業主婦は無理だ
かといって、何もせずダラダラうちにいるのも無理
老人になって体が利かなくなったら
それも仕方ないけどさ
対象を選び
快感を得ること
恋愛にも似ているね
恋愛でも
仕事でも
相手は
あくまで自分
自分がその対象に向かっているとき、どう感じるか
だもんね