抑圧 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

思えば

生まれてから

「何がしたい?」なんて

あんまり聞かれなかったように思う

貧乏だったから
欲しいものなんて
口に出来なかったし

欲しいものを口にすること自体が罪悪感だった

自分でお金を稼げば
欲しいものを買うこともできる
口を出されない


そう思って
なお早く
自立したがった


かといってね
思い出しても
すごく欲しかったもので、手に入らなかったものは
無かったような記憶になっている


大学も
美大とか行きたかった

でもうちが貧乏だとわかっているから
そんなこと言えなかった


だから学費を調べて
できるだけ親に負担をかけない
県立の短大にした


早く働きたい、という考えもあった

看護大にするか
悩んだけど

結局、短大にして
まったく関係ない
遊びだらけの2年間を送った


医療の短大にいく、という考えもあり
親も私が看護婦に向いていると
どうやら思っていて

その方向に行きかけたが

そこにいかなかったのも私のシナリオなんだろうなあ



こう思い返すと

欲しいものをいえないうちで育つと
欲しいものがわからなくなる、という
難点があるものだね

欲しいものを見つけてすぐ
口にすれば
きっとそれはない


でも
欲しいものが見つかっても
「いや、でも姉は買ってもらっていないし、…これは高すぎる」とか
そういうことを子供ながらにいつも考えて
「欲しい」という気持ちを打ち消していたわけで

欲しいものが容易に浮かばず
今もそのとおり

欲しいモノを口にすることに
罪悪感があるのだ



その辺の人より稼いでいてもだよ

罪悪感は消えなかった

ヘンなものだね


「外車が欲しい」と簡単に口にできる旦那には
目がまん丸になるってものだ


自分が思ったことを
感じたことを

表現する自由が無いと
きっと人は
私みたいにおかしくなる


抑圧は自由を奪う


子供のとき
外食すら満足にしてない

何が食べたいか、なんて
聞かれない


それは
父や母がそのように育ち
それで「しかたないもの」「そういうもの」だと教えられて育ったからだ


それを変えてあげようと思ったとしても
彼らも、どっかで抑圧されていて
それすらも見ないようにしていた事なんだと思う

抑圧は視界をせばめ
何もかもしっかり見えなくなる

恐るべきことだなと
最近わかったよ

何より恐いのは
見えないことだ


そこにあるのに
見えないこと