人は自分の見たくないものから
目を背けて生きることができる
だからこそ
生きていける
私も
たくさん目をそむけて生きてきた
今もそうやって生きてる
みんな
目をそむけている
それでも
薄々
わかっている
その上で目をそらしている
だからこそ
そこを指摘されると
激昂する
目をそむけているだけだから
激昂する
まったく気づいていないわけじゃない
気づいているけど見たくない
だから目をそらしている
だけど
いつか
自分でその部分には
自分の力で、自分の意思で、自分の「意識的に」選んだ時に向き合いたいと思っている
だから「誰か」に無理に向き合わせられた、と思うと
その人を恨む
憎む
(本当は他人に向き合わされたように見えて、自分の無意識で選んでるんだけどね)
そういうものだ
きっと
私が「モノをいつも同じ場所においておけ」と
旦那に言われるとムカつくのは
それだ
わかってる
でも変えられない
私、それが難しい脳障害なの
だから36年間、モノを失くすのよ
会社の仕事で失くすってことほとんど無いけどさ
家では気が緩んでるから
失くしっぱなし
わかってるよ
私、同じ場所に同じものを置けないんだよ
脳障害だよ
でもさ
私、それをどうにかしようと
本気で思ったことが無いんだよ
そういう事件にぶつかったことも無いからかな?
人は自分の気づいてるけど
気づかない振りをしている
都合の悪いところを
自分で見つめるきっかけを持ちたいと思っている
それを他人に責められる形で気づきたくないものだ
でもそうしていると
いつまでも見つめない
「不快な思い」が
見つめさせる
向きあわさせる
不快な思いを
根底からなくそう、と
思ったとき初めて
見つめる覚悟ができる
私の場合で言えば
そのダメなところを直すように努力し、
モノを同じ場所におけるようにしよう!ということでなく
「私はそういうダメなところがあるけど、どうしようもないのよ。それが私なんだ」と
自分を受け入れて許すこと
それが
見つめることだ
旦那にそのこと言われても
もうムカつかなくなる
「だって、ダメなんだもーん」とか言って
流していける
それが向き合った証
と、失禁した彼女の気持ちを思ったら
そう思った
自分のした失態(失禁)は
「失態」として認識したらきっと自己崩壊
だから見ない振りをするかもしれないな、と。
人間誰しも
そんな部分を持っているんだよね