子供ってのは
いつでも「自分のやりたいこと」がわかっている
何がしたいか聞くと
必ず何か答える
ブロック!粘土!お絵かき!おいかけっこ!
ピカチュウ見る!
いつでも、何かやりたいことがあるのだ
そしてそれを自分でしっかり理解している
一方、大人になると
どうだろう?
私、「うーん、なんだろね…パチンコでもいくか?」とか
「うーん、暇だし。。。海外ドラマでも見るか?」とか
まったく
さだまっとらん
だいたい
退屈していても
何をしていいのか
さっぱりわからない、または言えない
そんな風になる気がする
もちろん、そうじゃない人もいっぱいいるけどさ
退屈を解決する方法として
飲みにいったり
パチンコしたり
友達と遊んだりすんだろうが
でもね
退屈してても
それを自分で自覚してなかったなあと
つくづく思った
子供は退屈だと
自分から遊びを求めるけど
退屈している大人は
遊びでなく
「刺激的な出来事」を求めたりするのだ
それは
センセーショナルな内容の事実が書いてあるブログや本だったり記事だったり
実際の災害もそう
3.11の災害の際に
悲劇は起きたが
あの悲劇によって
「退屈」がしばらく吹き飛んだことを
覚えている
つまり「災害中毒」とか「ハプニング中毒」とでもいうのだろうか?
日常的でない騒動をカーニバルのように
刺激的に味わっていたのだ
そして
再度、それを味わいたいと思っている人たちもいるということだ
私は
なんでパチンコするんだろう、と考えたけど
単純に「退屈」だからだ
それがなんとなくでなく
しっかりわかった
退屈だから身近な刺激を求めているのだ
刺激が欲しい!!!
そうやって
毎日生きている
遊ぶなら刺激的な遊びがいい!
ノーリスクなら
面白くないのだ
みんなが成功しないゲームだから
面白いのだ
と、自覚した
昨日の夜