昨日
息子が「ぞうさんのお話をして」っていうから
「ダンボ」の話をした
ダンボってのは
耳がでっかいぞうさんで
耳がおおきいばっかりに
バランスが悪くて
お尻をぺちゃんとついちゃうような
そんな不恰好な小象の名前
その外見から
周りのゾウや動物やら人たちに
バカにされてきた
でも
そのぞうさんは
なんとあるきっかけに
その耳で
空を飛ぶことが出来るようになる
「そうか
そういう理由だったんだ
僕が耳が大きいわけは」
そう気づいたダンボは
もう誰にも
バカにされても
まったく気にしないようになりましたとさ
なぜなら
自分で理解したからです
どうして他のゾウより耳が大きく生まれたのかを
そしてむしろ、その耳を誇りに思ったのです
そこまでお話した時点で
すでに息子は寝ていたけれど
私はハッとした
自分で
その「アンバランス」の理由がわかれば
誰に何を言われても
気にならなくなる
それは
何よりも自分で自分のこと
納得できたからだ
って
私が子供にお話しするときって
眠たいときの思いつきで
なんとなく、話の筋とかせりふとか話していくから
きっと途中で何かメッセンジャーくるのかもねえ
ダンボの元の話と
結構違うんだけど
話していて
途中で
「そうだ、そういうことだよ」って
感じた
人は
その「アンバランス」の理由を知ると
安心して
自分を信頼できるのだ
もちろん
理由なしに
ただ受け入れることも出来る
ただ子供には難しい
理由が欲しいものだ
そして出来れば
大人になっても
その理由が欲しいものだ
「このためだったのか」とか
「こういうことだったのか」と
ダンボみたいに
空を飛べなくてもいい
ただ心が喜ぶことに
到達するとき
振り返ると
筋道が見えて
すべてが組み合わさり
巧妙に理由付けされている事に気づくのだ
理由があると
そのときは
「すっげー」と思うんだろう
そして
すごく気持ちよくなる
そして達成感と
自分に満足する気持ちと
今まですべてに対しての肯定を得て
快感すら覚えそう
ダンボ
昔好きだったな