願望達成ってなんじゃい | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

願望達成って何だ?


改めて思う
その必要はあるのか?

まああるんだけど

事象を創ることと
「実際に感じること」は
違う


私が思うのは
「おみくじで大吉がひけますように」って

そうお願いするようなことが
「願望達成」だと思う


もちろん「いつも幸せな気持ちでいられますように」

これだったら
私は理にかなった感じだわと、思う


たとえばさ
「母の病気が治りますように」と願うとする

しかし
その母は実際のところ
「病気であること」を望んでいるとする

的をつく願いは
「母が病気であってもそうでなくてもみなが心に平安あれ」
ってことが

実際のところだよね



私たちは

ある瞬間に
「ああ、もっとお金があったらいいのに」と思ったり
「ああ、この仕事を変えて、もっと自分にあった仕事があったらいいのに」と思ったりする


実際に
そのとき、タイムリーに願っているときは
本当にそう願っている

しかし
実際はその瞬間だけなのだ

これがミソ


その後

その気持ちを引きずり
同じ思いをしたくない

防衛本能

そこから
「お金があったらこんな思いをしない」とか
「転職したらこんな思いをしない」とか

記憶を引きずり幻想をつくり

本当に楽しいなあ、とかうれしいなあ、とかウキウキ~とか
でなく!

ただ「安心したい」という思いにフォーカスして
防衛を始める

そして
「思い」でなく
「事象」そのものにフォーカスしていくのだ


これは

まさに
人間の歴史そのものにも

いえるんじゃないか????と
今朝
思った


人間として
楽しく幸せに生きたい
その時々を生きたい


それなのに
記憶を引きずり
防衛しようとする

そして
事象そのもの

「お金を持っていること」などに
フォーカスしていく

それをどう感じるかは
置いてけぼりだ


人間はそうして
どんどん変わり

そして
今振り返るときにきている


まさに
さっきの記事に書いた
城壁を崩し始めるときが今きたのかもしれない


私が城壁を崩すゲームを始めたのは17歳
そしていったん止めて

33歳

そこからだ


世界も同様だ
17歳のときはしらないけど

2年ほど前から
人間は自分たちを取り囲むブロックの存在を強く感じ始めている


それは自分たちが作り上げたことも知っている

それを崩すためには
私自身がそうであったように
そのブロックが何であるか気づく出来事がそれなりに必要なのだ


なんにしろ
私も
人間全体も
同じ

今は
ゲームの途中

ブロックを崩すのは楽しい

どんどん視界が開けてくるからね
本当に面白い

コロコロ考え方も変わるし
小さく見てたのが
大きく見れるようになったり


。。。とにかく
私自身、奇跡のような願望達成を繰りかえしながら
今まで生きてきた

本当に今考えても
奇跡の連続だ


願望は強く願えば かなうものだと
みなに言ってきた


それは私自身がウキウキする気持ちからっていうものもあれば
劣等感を埋めるように
理想を追いかけるものでもあった
人に不幸があればいいというものもあった


願いはかなう
しかし
それをどう感じるか?

それは
わからない

たとえば今4億円あたったら
単に、新たにブロックをたくさん重ねてしまうかもしれない

まだその段階かもしれない

またそのブロックを取り去るのに2年くらいかかるかもよ


願望達成ってなんだ?

ね?

そう思う。


結局



「今」「どう感じるか」



それだけなんだ


私はそこが私なりの「真理」だと思う



もちろん願望達成は
遊びの範囲で
とっても面白いからいい


チョコが食べたいと思ったら
すぐにチョコを隣の人からもらえたりね

駐車場がすいてますように、とか
そんなの
やっぱりいいねえ

ただ
あくまで
事象の遊びで

チョコ食べたくても
「いやいや、ダイエットだね」と
気持ちを切り替えてストイックな自分に酔って気持ちよくなるも良し!

駐車場が混んでて
「今日はここより、隣のスーパーの方に行ったほうがいいってことかもねえ」と
行くも良し


何かがどうだからって

「不快になることがない」人には
必要の無いことだ

もちろん
人間に生まれたから
いろいろ体験したい
イメージして遊びたい

それは私もしたい!!
だからいい

でも
これに気づいて以来

仕事をすぐに変えたいとか
金が欲しいとか
旦那をどーにかしたいとか
一切思わなくなった

願望って
かなうけど

かなわないなら
理由があるのさ