あれからの気付き② | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

では


どのようにしたら
素敵な感覚を保てるのか
ってことだけど

どの感覚を選んだって
不正解はないけれど

もしも、楽しかったり
嬉しかったり
恩恵を感じたり
そんな感覚の事象を選びたいなら

そしてその感覚をまた
続けたいならば

簡単だ

もちろん言うまでもなく
調子のよいときは簡単

だから書かない


問題は
調子悪いとき

たとえば吐きそうで胃袋が締め付けられて
腹痛があって
そんな時に
トイレにこもって
考える

「それでも、まだ歩けてよかった。」
「それでもこんなに具合が悪くても
寝ることができるベッドが近くにあって
エアコンがついていてよかった~あ~恵まれてる」

と、もっと最悪のことってあるんだよ~ってな感じで
一瞬だけ
二元性を活用する


自分がいかに
恵まれているか

そこを再確認する
すると
どうでしょう

気持ちが楽になるではないですか?

「私は恵まれているなあ」
「ありがたい」

心からそう思えたら
大成功

すでに
次元を移り変わっているはず

子どもが病気のときでもそう

下痢になって心配になる
でも
「それでも元気があってよかった」
「それでも、熱が出なくてラッキーだ」
とか
そっちに意識を向ける

逆に
「あー下痢になった!
このパターンだと
明日も下痢で
それが続いて
そしたら病院に連れて行かないと…
あ、明日は月曜で病院が込むのに…仕事も明日は忙しい日だから遅れられないし…ああ~どうしよう~また風邪の始まりかなあ」とか
そっちにフォーカスすると
その気持ちにあったことが起きてくる

つまり
一瞬の
二元性の利用で
意識を変えて「感謝する」
または
「流す」

それで
「気持ちを切り替える」
または
「気持ちを保つ」


そのことが
素敵な現実を創るのだと
気付いたのだ


感謝って本当によくわからなかったけど

二元性を利用すると
確かにそこに感謝はたくさんある

ありがとう、ありがとう、ありがとう

大げさに毎回
ありがとうとか書きまくる
そんなブロガーさん、どうなの?って
少し思っていたけれどね

まあいまでも思うけど

二元性に足をズッポリ
いつでもその状態でいたいのなら結構だと思う


ただ
私の書くように
普段は中庸

それで
悪くなったときに
「二元性を利用」ってな感じで
こころから感謝をする

そしてまたセンター(中庸)に戻る


それで
きっと
人間としてこの世を
生きていけるのではないかと思う

大事なのは
二元性ずっぽりでなく
一時的ってことだ


って
あくまで
私の整理ノートとして
読んでくれた人は読んでください

でも

人間的に
感傷的に感情的に
人情的に生きるって選択の人は
私のように
中庸にいることを好まないのかも
いつでも力むのかもしれないね
それはそれで
人間的な深い経験
感覚を得ることができるのかもしれないし
全然いいのではないかと思う


私はあくまで「楽に生きたい」から、こう整理している