自分を信じることができるようになると
受け入れることと
拒否することが
選べるようになる
すべてに反応しないでも
生きられるようになる
すべてに意味も求めなくなる
ただ反応しなければいいだけ
「プレシャス」という映画で
どーしようもない母親を受け入れていたために
辛い思いを抱えていた
プレシャス
最後は
母親を遮断する形で
彼女は
自由を選んだ
辛かっただろうけれども
彼女は自分の子どもと自分自身を守るために
その決断ができた
子どもがいなくても
自分自身だけを守るためにも、
そうできたかもしれない
すべてを
同じレベルで考えてはいけない
親だから
友人だから
先輩だから
なんて関係ない
絡みつき方がちがってくるだけだ
でも
それが自分を引き下げるものならば
選んで遮断することができる
すべてを自分に取り込みすぎないこと
意味を求めないこと
身の回りに起きるすべてに
反応しすぎないこと
それが大事だね
私は本当の意味で
だんだんと
自分自身のそのままの形を知ってきたような気がする
もちろん
冷たく割り切るという意味ではない
それこそ「自分を信じる」という意味だ
私は基本的に愛の存在
コントロール無しでも
愛の存在
だからその基本的に愛で生きることができている自分自身の判断を信じることができる、ということだ