来月に手術をすることになって
あらゆる人から
あたたかい思いやりを頂いた
本当に嬉しかったなぁ
わざわざ電話してきて心配してくれる友達もいたし
術後にレイキを送ってくれるという友だちも
本当に他人のことを思いやれる優しい人たちがいる
また別に
仕事の取引先のある人に
手術することになり、休むことになった、と伝えるなり
「あ、じゃあ、わからないことあって聞きたいことあるときはどこに聞いたらいい?携帯に連絡できるのはいつから?」と
そのことにはいっさいなんんにも興味無しの人
※その人はすごいサバサバして良い人で好きです
そして
保育園のある先生に、子どものお楽しみ会に出れない理由で手術のことを伝えるなり
「あ、じゃあ、他に来れる人いますか?」とか(笑)
その人も良い人です!
あはは
でも、おもしろいな~、と思った
はっきり言って
どーでもいいんだろう
うん。
いいねぇ~
でもそういうのも
好きです
だって本当なんだもんね
たいしてどうでもいいのに
心配する振りするとか
そういう偽りが無いから
好き
やっぱり
物事はそのままの大きさでしかないな、と実感した
義母は
手術になった、と普通に伝えたときに
妙に軽く「まあ、monaちゃんもちょっとくらい、痛いかもしんないけど、我慢してさ、ね♪」なんて
不自然にあしらった
「うーん」と
違和感で胸がもぞもぞした
思いやりなのかもしれない
でも
いいんじゃない?そのまんまで?
私が、辛抱できない子どもだと思っているのか
この物事を処理する
受け止める能力が、イマイチ足りないと思っているのか
なぜ、わざと軽くしようとするのか分からなかった
きっと「気を楽にしようとした」ってのは分かる
でも、やっぱ
物事を
大げさに心配するのも
より軽く扱おうとポーズするのも
一緒なんだな、と分かった
かなり…不自然です!
(義母はちなみに、自身で手術の経験も入院の経験もない)
適当に笑って合わせたけどさ
彼女の本心は違うだろうしね
でも分かったのは
そういうこと
物事はそのままの大きさでしかない、ということ
大きくしなくても
小さくしなくても良い
私には
そのまま このことを受け入れる
キャパシティがあるってば。
あなたに小さいサイズに変換してもらう必要も無いですよ~
と思った
反抗期の私
世話になってるくせに、そんなこと思ってすいません
で、そんなこんなで
義母もただの人間だな、と
私の中のフィルターがきれいになってきた
(大げさにするも
小さくするも
「ポーズ」、という意味です
ここでは)
本当に大変なことだと本心から思って心配してくれる人は「大げさ」だと決して思わない
そして
本当にポーズでなく軽く思っている人も(前にあげた二人も)私は好きです
だって自分自身に同じことが降りかかっても
きっと彼女たちはサバサバ、対処しそうな人たちだしね(笑)そういう人たちは好きだな~
人それぞれ
物事はそのままの
大きさ
それぞれが捉えるそのままの大きさ
人を信じるって大事だよね
そして
私を信じて欲しいな、やっぱり
そう思った