京福嵐山本線(嵐電)「嵐山(あらしやま)」駅。

高校時代、友人に「ゼロ戦見に行かへんか?」と誘われて、当時桂川沿いにあった「嵐山美術館」へ行った際、この駅を利用した。
風光明媚な観光地で知られる嵐山と、零式艦上戦闘機という妙な取り合わせに多少の違和感を感じつつも、展示されたゼロ戦を見て興奮を覚えた記憶がある。
嵐山には小学校2年生での遠足を始め、何度か訪れた思い出多き場所のひとつであるが故、先日の台風18号による被害には、大きな衝撃を受けた。
また最近影響を受けたアニメ『ちはやふる』の特別展が、やはり嵐山にある百人一首の殿堂「時雨殿」で開催されていると聞き、足を運んでみたいと思っていた矢先の嵐山浸水のニュースに、ただ驚いているばかりである。だが時雨殿は大きな被害に至らなかったようで、台風通過2日後の18日には通常営業を再開したらしく、幸いであったと思う。
嵐電の「嵐山」駅から、渡月橋を渡って、阪急「嵐山」駅までのまたの散策を楽しみに、早い復旧復興を祈りたい。


高校時代、友人に「ゼロ戦見に行かへんか?」と誘われて、当時桂川沿いにあった「嵐山美術館」へ行った際、この駅を利用した。
風光明媚な観光地で知られる嵐山と、零式艦上戦闘機という妙な取り合わせに多少の違和感を感じつつも、展示されたゼロ戦を見て興奮を覚えた記憶がある。
嵐山には小学校2年生での遠足を始め、何度か訪れた思い出多き場所のひとつであるが故、先日の台風18号による被害には、大きな衝撃を受けた。
また最近影響を受けたアニメ『ちはやふる』の特別展が、やはり嵐山にある百人一首の殿堂「時雨殿」で開催されていると聞き、足を運んでみたいと思っていた矢先の嵐山浸水のニュースに、ただ驚いているばかりである。だが時雨殿は大きな被害に至らなかったようで、台風通過2日後の18日には通常営業を再開したらしく、幸いであったと思う。
嵐電の「嵐山」駅から、渡月橋を渡って、阪急「嵐山」駅までのまたの散策を楽しみに、早い復旧復興を祈りたい。

妻が読んでいます その61。
『ちはやふるオフィシャルファンブック』
末次 由紀& BE・LOVE編集部 監修
講談社

妻はかつてこの『ちはやふる』の原作単行本を、とある献血の施設へ行く度に備え付けのを読んでいたようだが、結婚してからはその施設に行く機会もなくなり、その後は書店や古書店で購入して読み続けている。
私も拙い短歌を少々詠むが、古典には取っ付きが悪くて、専ら口語短歌が中心。だがやはり百人一首には多少の興味を抱いているので、この夏CSテレビで放映されていたアニメ版の『ちはやふる』にはすっかりハマってしまって、第1シリーズ第2シリーズ全50話を、妻共々一挙に観てしまった。
お陰で妻も私に短歌のことをよく質問してくるようになったが、如何せん百人一首やかるたについては知識に乏しく、妻の期待にはあまり応えることが出来ない。
そこで実家から持ち出してきたのが、このゲームソフト。

私が10数年前に短歌を始めて間もない頃、勉強と遊びを兼ねて購入。対戦モードもあるので、百人一首にかけては私よりも数段詳しい母と相対し、百人一首やかるた競技についての認識度を少しは高めていた。
そんなある日、大学の先輩から自宅に呼び出された。たいへん後輩思いで面倒見が良く、仕事場でもご一緒する機会も多くお世話になっていたので、お呼ばれに伺ったのだが……、先輩の主たる目的は布教活動、つまりは私を某宗教へ勧誘することだった。そして先輩は「いい年をした男がすることか?」と、私と母が百人一首のゲームに興じることをも批判した。
先輩とは絶交した。
もし万が一、私が先輩からの勧誘を受けてその宗教に入信していたら、現在の妻と出会い結婚することはなかったであろうし、このゲームソフトが私たち夫婦の前で再び日の目を見ることもなかったであろう。
上っ面だけのお付き合いや目先の利益に惑わされることがなかった己の判断に、間違いはなかったと自負している。
たかが短歌、たかが少女漫画、たかがゲームソフトではあるが、それが人生を豊かなものにしてくれることだって、大いにあり得るのである。
『ちはやふるオフィシャルファンブック』
末次 由紀& BE・LOVE編集部 監修
講談社

妻はかつてこの『ちはやふる』の原作単行本を、とある献血の施設へ行く度に備え付けのを読んでいたようだが、結婚してからはその施設に行く機会もなくなり、その後は書店や古書店で購入して読み続けている。
私も拙い短歌を少々詠むが、古典には取っ付きが悪くて、専ら口語短歌が中心。だがやはり百人一首には多少の興味を抱いているので、この夏CSテレビで放映されていたアニメ版の『ちはやふる』にはすっかりハマってしまって、第1シリーズ第2シリーズ全50話を、妻共々一挙に観てしまった。
お陰で妻も私に短歌のことをよく質問してくるようになったが、如何せん百人一首やかるたについては知識に乏しく、妻の期待にはあまり応えることが出来ない。
そこで実家から持ち出してきたのが、このゲームソフト。

私が10数年前に短歌を始めて間もない頃、勉強と遊びを兼ねて購入。対戦モードもあるので、百人一首にかけては私よりも数段詳しい母と相対し、百人一首やかるた競技についての認識度を少しは高めていた。
そんなある日、大学の先輩から自宅に呼び出された。たいへん後輩思いで面倒見が良く、仕事場でもご一緒する機会も多くお世話になっていたので、お呼ばれに伺ったのだが……、先輩の主たる目的は布教活動、つまりは私を某宗教へ勧誘することだった。そして先輩は「いい年をした男がすることか?」と、私と母が百人一首のゲームに興じることをも批判した。
先輩とは絶交した。
もし万が一、私が先輩からの勧誘を受けてその宗教に入信していたら、現在の妻と出会い結婚することはなかったであろうし、このゲームソフトが私たち夫婦の前で再び日の目を見ることもなかったであろう。
上っ面だけのお付き合いや目先の利益に惑わされることがなかった己の判断に、間違いはなかったと自負している。
たかが短歌、たかが少女漫画、たかがゲームソフトではあるが、それが人生を豊かなものにしてくれることだって、大いにあり得るのである。

写真は、昨日16時半頃の月。
この前日、一昨日の13日は、半月(上弦)であった。
子供の頃、お絵描き帖に描いた欠けた月に、皆「三日月」と記していた私に、三日月が厳密には陰暦3日の夜の月を指していることを教えてくれたのが兄。7歳上で絶対的な立場にいた兄から、今で言う上から目線で諭すように教えられたその時の鬱陶しさが、月の満ち欠けを見る度、未だに甦ってくる。
けど今は、欠けた月のことを何でもかんでも「三日月」と呼んでいる人を見ると、つい偉そうに教えてやりたくなってしまう私である。
「三日月」とは、陰暦3日の夜の月、つまり全部欠けてほとんど真っ暗になってしまった日から数えて3日目の月を言うのだ、と……。
妻が読んでいます その60。
『二時間目 国語』
小川義男 監修
宝島社

「河村君の目は、カワバタコウセイの目と似ているね」
私が京都にいた高校時代、現代国語の授業中に、担当のM本先生が私の目をじっと見つめながら言った。
カワバタコウセイとは、作家、川端康成のことであった。授業中、M本先生の目を睨みつけるようにして見ていた私の目が、あの川端康成の眼光を彷彿とさせるものがあったらしい。ノーベル賞作家の目と私の目が似ているなど、いや誠におこがましく、また光栄なことである。
M本先生は、十代の頃に筋ジストロフィー症を発症。「二十歳までは生きられないと言われたが、今もこうして生きているし、結婚もして子供も出来た」と、よく仰っていた。背丈はだいぶ小柄で、歩くのが少し不自由で、3階にある教室までの階段をまるで登山家ように一歩一歩踏みしめるように上り、授業開始は呼吸を整えるべく、導入は軽い雑談からといった場合が多かった。私の目が川端康成の目に似ているといった話も、そんな雑談の中から生まれた話題であった。
そうしたM本先生のお陰もあってか、私は当時、現代国語の成績が非常に良かった。おまけに担任のM山先生担当の古典の成績も良かったので、周りの友達からは「国語の神様」などと呼ばれてもいた。
しかしその一方、数学や英語の成績はクラスでもワーストクラス。余りにもその差が大き過ぎて、担任のM山先生からは「片端(かたわ)やね」と言われたこともあった。
私たちの担任を外れた後、京都から故郷の広島へ戻られたM山先生。数年後、私が就職活動で地方を回っていて、ちょうど広島のお宅に泊めていただいた際、この昔話を私の口から聞き、思わず顔色を変えて、私に謝罪をして下さったことがある。
「え、私がそんなことを言ったのか? 済まなかった! いや若かったんだな~。今思うと考えられない発言だね。いやいや、それは本当に申し訳なかった」
M先生には昔懐かしい話をしたつもりが、思わぬ謝罪の言葉を引き摺り出すことになってしまって、何だか申し訳なく、かえって恐縮してしまった私であった。
その後の私は、コミュニケーションを専門に学び、曲りなりにもお喋りの仕事、つまりは言葉を扱う仕事をしている。また仕事にはなっていないが、短歌や小説、エッセイなどを書いたりしては、ぼちぼち賞をいただいたりもしている。
それもこれも、高校時代にお世話になった、あのM本先生とM山先生のお陰であることは間違いないだろうと、私は心から有り難く思っている。
二時間目国語 [ 小川義男 ]

¥460
楽天
『二時間目 国語』
小川義男 監修
宝島社

「河村君の目は、カワバタコウセイの目と似ているね」
私が京都にいた高校時代、現代国語の授業中に、担当のM本先生が私の目をじっと見つめながら言った。
カワバタコウセイとは、作家、川端康成のことであった。授業中、M本先生の目を睨みつけるようにして見ていた私の目が、あの川端康成の眼光を彷彿とさせるものがあったらしい。ノーベル賞作家の目と私の目が似ているなど、いや誠におこがましく、また光栄なことである。
M本先生は、十代の頃に筋ジストロフィー症を発症。「二十歳までは生きられないと言われたが、今もこうして生きているし、結婚もして子供も出来た」と、よく仰っていた。背丈はだいぶ小柄で、歩くのが少し不自由で、3階にある教室までの階段をまるで登山家ように一歩一歩踏みしめるように上り、授業開始は呼吸を整えるべく、導入は軽い雑談からといった場合が多かった。私の目が川端康成の目に似ているといった話も、そんな雑談の中から生まれた話題であった。
そうしたM本先生のお陰もあってか、私は当時、現代国語の成績が非常に良かった。おまけに担任のM山先生担当の古典の成績も良かったので、周りの友達からは「国語の神様」などと呼ばれてもいた。
しかしその一方、数学や英語の成績はクラスでもワーストクラス。余りにもその差が大き過ぎて、担任のM山先生からは「片端(かたわ)やね」と言われたこともあった。
私たちの担任を外れた後、京都から故郷の広島へ戻られたM山先生。数年後、私が就職活動で地方を回っていて、ちょうど広島のお宅に泊めていただいた際、この昔話を私の口から聞き、思わず顔色を変えて、私に謝罪をして下さったことがある。
「え、私がそんなことを言ったのか? 済まなかった! いや若かったんだな~。今思うと考えられない発言だね。いやいや、それは本当に申し訳なかった」
M先生には昔懐かしい話をしたつもりが、思わぬ謝罪の言葉を引き摺り出すことになってしまって、何だか申し訳なく、かえって恐縮してしまった私であった。
その後の私は、コミュニケーションを専門に学び、曲りなりにもお喋りの仕事、つまりは言葉を扱う仕事をしている。また仕事にはなっていないが、短歌や小説、エッセイなどを書いたりしては、ぼちぼち賞をいただいたりもしている。
それもこれも、高校時代にお世話になった、あのM本先生とM山先生のお陰であることは間違いないだろうと、私は心から有り難く思っている。
二時間目国語 [ 小川義男 ]

¥460
楽天
つい先日のこと。
深夜に目が覚めた。まず私自身が、寝言を言った。どんな言葉を発したのかはよく憶えていないのだが、確かにはっきり喋って、それがあまりにもハキハキしたものだったことに自ら驚いて、起きてしまったらしい。
なんだ寝言か……、と思っていったん開けた目を再び閉じた途端、横に寝ていた妻が言った。
「短歌を止めるの?」
何を言っているのか分からず、はてどう答えていいものか困惑している間もなく、妻がひと際強い口調で続けた。
「短歌はもう作らなくなってしまうの?!」
矢継ぎばやに繰り出される妻の質問攻撃を遮るかのように、私は言った。
「寝言や寝言! ごめんごめん! 心配要らんから、もう寝て寝て!」
「寝言……? 寝言なの、そうなの? ふ~ん……」
そうして妻も私も、また眠った。
朝起きて、改めてその話をしたのだが、妻は全く記憶にないと言う。どうやら私の寝言を発端に、妻も寝言で応酬していたらしい。それにしても、私はいったい何を口走ったのだろうか? そして何故、短歌だったのか……?
私たち夫婦、実は最近、百人一首の競技かるたに励む高校生らが題材になっているアニメ『ちはやふる』にハマっていて、その前の夜も遅くまで、二人して録画していたアニメをビデオで見ていた。恐らく夢中になってそれを見ていたのだろう、その流れを引きずったまま眠ったので、夢の中にまで百人一首や短歌といったものを登場させてしまったのではないかと思われる。
立秋を迎えても、まだまだ猛暑で寝苦しい夜が続く。今宵は、さて、どんな夢を見られることやら。
深夜に目が覚めた。まず私自身が、寝言を言った。どんな言葉を発したのかはよく憶えていないのだが、確かにはっきり喋って、それがあまりにもハキハキしたものだったことに自ら驚いて、起きてしまったらしい。
なんだ寝言か……、と思っていったん開けた目を再び閉じた途端、横に寝ていた妻が言った。
「短歌を止めるの?」
何を言っているのか分からず、はてどう答えていいものか困惑している間もなく、妻がひと際強い口調で続けた。
「短歌はもう作らなくなってしまうの?!」
矢継ぎばやに繰り出される妻の質問攻撃を遮るかのように、私は言った。
「寝言や寝言! ごめんごめん! 心配要らんから、もう寝て寝て!」
「寝言……? 寝言なの、そうなの? ふ~ん……」
そうして妻も私も、また眠った。
朝起きて、改めてその話をしたのだが、妻は全く記憶にないと言う。どうやら私の寝言を発端に、妻も寝言で応酬していたらしい。それにしても、私はいったい何を口走ったのだろうか? そして何故、短歌だったのか……?
私たち夫婦、実は最近、百人一首の競技かるたに励む高校生らが題材になっているアニメ『ちはやふる』にハマっていて、その前の夜も遅くまで、二人して録画していたアニメをビデオで見ていた。恐らく夢中になってそれを見ていたのだろう、その流れを引きずったまま眠ったので、夢の中にまで百人一首や短歌といったものを登場させてしまったのではないかと思われる。
立秋を迎えても、まだまだ猛暑で寝苦しい夜が続く。今宵は、さて、どんな夢を見られることやら。
京阪宇治線「桃山南口(ももやまみなみぐち)」駅。

昔、母は母子寮(現母子生活支援施設)の寮母として働いていた時期がある。亡父と母の仲人的存在でもあった、その母子寮の寮長先生の住まいが、この駅辺りにあって、母に連れられて何度か乗り降りしたことがある。
この寮長先生の夫こそ、小説家、稲垣足穂(いながきたるほ=1900~1977)先生。
私も子供の頃から何度かご夫妻にお会いしている筈だが、記憶に濃いのは、確か私が中学1年生の年、火事に遭われ、知人のお宅に身を寄せていらしたご夫妻を、お見舞いに伺った時のこと。
「この人は、貴方ぐらいの少年が好きなんですよ」
夫人から改めて紹介された私の頭を、足穂先生は笑顔で二、三度撫で撫でして下さった。そして背中を向けて何やらゴソゴソ始められると、辛うじて火事場から持ち出された荷物の中から見付けた何枚かのスライド写真を、私に手渡して下さった。それは何れも複葉飛行機が写されたもので、足穂先生は、どこの国の何という機種なのかを1枚1枚説明しながら渡して下さったのだが、全く失礼ながらその詳細を憶えていない。
今になって改めて調べてみると、少年時代に飛行家を目指したり、複葉飛行機の製作に携わっていらしたこともあるという先生。そんな稲垣足穂先生ならではの、エピソードと言えるかもしれない。
最近、この稲垣足穂先生の自伝的小説とも言える『彌勒』が、林海象監督の手によって映画化されたようだ。
是非、観たいものだと思っている。
彌勒 MIROKU 公式サイト
http://www.0369.jp/about01.php

昔、母は母子寮(現母子生活支援施設)の寮母として働いていた時期がある。亡父と母の仲人的存在でもあった、その母子寮の寮長先生の住まいが、この駅辺りにあって、母に連れられて何度か乗り降りしたことがある。
この寮長先生の夫こそ、小説家、稲垣足穂(いながきたるほ=1900~1977)先生。
私も子供の頃から何度かご夫妻にお会いしている筈だが、記憶に濃いのは、確か私が中学1年生の年、火事に遭われ、知人のお宅に身を寄せていらしたご夫妻を、お見舞いに伺った時のこと。
「この人は、貴方ぐらいの少年が好きなんですよ」
夫人から改めて紹介された私の頭を、足穂先生は笑顔で二、三度撫で撫でして下さった。そして背中を向けて何やらゴソゴソ始められると、辛うじて火事場から持ち出された荷物の中から見付けた何枚かのスライド写真を、私に手渡して下さった。それは何れも複葉飛行機が写されたもので、足穂先生は、どこの国の何という機種なのかを1枚1枚説明しながら渡して下さったのだが、全く失礼ながらその詳細を憶えていない。
今になって改めて調べてみると、少年時代に飛行家を目指したり、複葉飛行機の製作に携わっていらしたこともあるという先生。そんな稲垣足穂先生ならではの、エピソードと言えるかもしれない。
最近、この稲垣足穂先生の自伝的小説とも言える『彌勒』が、林海象監督の手によって映画化されたようだ。
是非、観たいものだと思っている。
彌勒 MIROKU 公式サイト
http://www.0369.jp/about01.php
妻が読んでいます その59。
『食べようび~2013年8月号~』<特別付録:くさりかけ事典>
オレンジページ

食堂、コンビニ、デパ地下、バイキング料理店、そして自主映画のケータリングスタッフと、これまで食品や料理に関する仕事に数多く携わってきた妻。現在は某企業の社員食堂に勤務している。
そんな妻にとって、何と言っても怖いのは食中毒。特に雑菌が繁殖しやすい夏は、やはり厄介な季節。中でもスケジュールがルーズになりがちな撮影現場のケータリングスタッフなどは、なるべくやりたくないというのが、本音だそうだ。
その妻が、最近手にしていたのが「くさりかけ事典」。
6年前の結婚以来、常にあらゆる事態を想定してきた妻ではあったが、まさか現在の困窮した家庭生活への打開策として、今まで敬遠してきたジャンルにまで足を踏み入れようとしているのではないだろうか……? 今後、家庭に居ながらにして、臭い飯を食う機会が訪れるといったことも、そう遠くない現実として想像するに難しくはない。
いやいや、もしかしたら、その「くさりかけ」の対象こそ、誰あろうこの私自身なのかもしれない。
腐るな、私よ! ふうむ……?
『食べようび~2013年8月号~』<特別付録:くさりかけ事典>
オレンジページ

食堂、コンビニ、デパ地下、バイキング料理店、そして自主映画のケータリングスタッフと、これまで食品や料理に関する仕事に数多く携わってきた妻。現在は某企業の社員食堂に勤務している。
そんな妻にとって、何と言っても怖いのは食中毒。特に雑菌が繁殖しやすい夏は、やはり厄介な季節。中でもスケジュールがルーズになりがちな撮影現場のケータリングスタッフなどは、なるべくやりたくないというのが、本音だそうだ。
その妻が、最近手にしていたのが「くさりかけ事典」。
6年前の結婚以来、常にあらゆる事態を想定してきた妻ではあったが、まさか現在の困窮した家庭生活への打開策として、今まで敬遠してきたジャンルにまで足を踏み入れようとしているのではないだろうか……? 今後、家庭に居ながらにして、臭い飯を食う機会が訪れるといったことも、そう遠くない現実として想像するに難しくはない。
いやいや、もしかしたら、その「くさりかけ」の対象こそ、誰あろうこの私自身なのかもしれない。
腐るな、私よ! ふうむ……?
32.新しくなった阿倍野歩道橋の上で……。中年男性が携帯電話で話している。
「あ、多分カウンターの棚の上に転がりちゃんこしてしてるかと思うんやけど……」
【転がりちゃんこ】……?
笑福亭仁鶴師匠が「~ちゃんちゃこ」と仰るのはよく聞いたが、この「~ちゃんこ」は初めて聞いた言葉の使い方。映画『舟を編む』を観てからまだ間が無いので、思わず「用例採取!」と呟いてしまった。
そう言えば、私が昔から普通に使っている言葉に「踏みじゃんじゃん」という言葉がある。何かを踏みつけて踏みつけてしてしまうことを表現した言葉であるが、ひょっとしたらそれと似たような部類の用法なのだろうか?
教えてちゃんこ!
「あ、多分カウンターの棚の上に転がりちゃんこしてしてるかと思うんやけど……」
【転がりちゃんこ】……?
笑福亭仁鶴師匠が「~ちゃんちゃこ」と仰るのはよく聞いたが、この「~ちゃんこ」は初めて聞いた言葉の使い方。映画『舟を編む』を観てからまだ間が無いので、思わず「用例採取!」と呟いてしまった。
そう言えば、私が昔から普通に使っている言葉に「踏みじゃんじゃん」という言葉がある。何かを踏みつけて踏みつけてしてしまうことを表現した言葉であるが、ひょっとしたらそれと似たような部類の用法なのだろうか?
教えてちゃんこ!