幸せじゃないか~~~
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私は赤い電車に揺られている。
この奇妙な箱は、人と人とがひしめき合う、現代社会の縮図のようだ。
非日常的距離感で人と人とが密接し合い、それでもなお、他人のフリをしている。
降ります。という声に、車内の殺気が集中する。
わたしは、辛うじて顔を上げて、白に染まった多摩川を肩と肩の間から眺める。
増水した汚い川に、鳥がプカプカと浮いていた。(鴨だろうか?)
わたしもあんな風に、プカプカと漂っていたいと思った矢先に、右手で握っていたカバンがするりと床に落ちる。慌てて拾おうとして、今度はビニール傘が前に倒れて座っている人に直撃した。
すみません!
その人は傘にもわたしにも何の反応を示さずにただじっと座っている。アンドロイドか。わたしはバリバリと歯ぎしりをした。
自由が丘で、さらに人が乗り込む。
つめこまれ、足の置き場すら奪われる。
カバンは床に置かれたまま、わたしは自分の体を両手で必死に支えた。
外には雪が積もっているのに、車内は嫌な熱気であふれ、赤い電車は辛そうにのろのろと進む。
妙な体勢になったわたしは、日ごろ使われない変な筋肉を行使し、身体がプルプルと震えた。
くそったれ、あほ、ばか、まぬけ、ババア、クズ、ゴミ、カス…
脳内でありったけの罵倒が浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
やがて代官山を通過し、暗いトンネルに入った。ひしめき合う人たちから、位置エネルギーを奪い去って、赤い箱は、ゴミだめの地下5階へと吸い込まれてゆく。
やれやれ、こんな街まで運ばれてきてしまったよ。
かつては屋上で輝いていたプラネタリウムも、今じゃ地下5階のプラットホームでゲロまみれだ。
何度も何度も、アナウンスが流れる。心のこもっていない、上っ面のお詫びだ。
いや、上っ面なんかじゃない。わたしたちの"感受性"がこの街によって閉ざされているから、そう感じとられるだけなんだ。
電車が人々を吐き出した時は、わたしが電車に乗ってから2時間も経過していた。
辛いのは、乗客でも運転手でも、汚い駅や街でもない。この懸命に線路を進む電車なのだ。わたしは居た堪れなくなって足早にエレベーターに乗り込み、車内に傘を忘れたことに気がついた。
とことんついてなかった。
ホームレスとすれ違った。拾ったばかりのポカリスエットのキャップを素早く開けてわずかに残った液体を飲もうとしていた。
マツモトキヨシでは、中国人が早口でなにかを喋っている。でかいスーツケースと大量のショッピングバッグを抱えてもなお、カゴに"蒸気アイマスク"を詰め込む。
わたしはすぐに目を逸らした。
ここは地獄だ。
多摩川の鴨が、わたしを呼んでいる声がして振り返った。
だれもいなかった。
遅れまいと、センター街を足早に行く。
寒い日だった。