フリーマガジンに刺される


ごく稀に流れては

わたしの良心を

チクチク刺激していたCMも

いつの頃からか

消えていました。


子ども達の成長に伴い

仕事、プライベートと共に

落ち着いた毎日が続きました。


彼を再び

思い出すことになったのは

娘が高校3年生

息子が高校1年生の時

だったと思います。


それは月に一度発行される

地域の情報誌でした。

よく駅や市役所などの公共施設に

置かれている

フリーマガジンです。


わたしは駅で

そのフリーマガジンを

もらって読むのが

毎月の習慣でした。


その日も家で

それをパラパラめくっていたところ

市民ホールで催される

公演スケジュールが

目に止まりました。


何が掲載されていたのか

今となっては思い出せませんが

おそらく

どこの地域でも同じような

コンサートやミュージカル

お芝居、落語

地元の学校の発表会

などだったでしょう。


その中に

A氏の顔を見つけたのです。


わたしは目を疑いましたが

それは確かに彼でした。


歳はとっていましたが

間違いなく彼でした。


バンド名は〝zero〟では

ありませんでしたが

わたしが知っている彼でした。


他のメンバーは最初から

顔も名前も人数も

知らないので

変わったかどうかは

わかりませんでした。

どうでもいいことですが。


それは

来月市民ホールで

A氏のバンドが

ライブをやるという記事でした。


忘れかけていたA氏が来る。

わたしを責めに来る訳では

ないけれど

彼の顔写真を見て

〝罪の意識〟しか

湧いてきませんでした。


40代になったわたしには

100万を超える預かり物を

放置しているという罪の意識が

あの頃より

深く深く突き刺さり

思わずフリーマガジンを

閉じていました。


本腰を据えて

何とかしなくては。

フリーマガジンの表紙を

睨みつけながら

覚悟を決めました。