本日、9月9日は重陽の節句菊の節句黄色い花


夏の初めに水墨画展を見に行った際、田能村竹田の菊画のお軸の解説を見て知った。

この日は、菊をお酒に浮かべて香りを移し、それを飲んで邪気払いするそう。

元々中国の文化だが、平安時代に宮中に持ち込まれ、明治以前は庶民に浸透していたとのこと。


ちなみに、秋菊についての漢詩も見たことがあるが、おそらく重陽の節句用に詠まれたものではないだろうか。



というわけで、今年はこのような素敵な日を楽しんでみようとひそかにたくらんでいたのだが、、、


帰宅途中に、ピーコックに寄って菊の切花と、食用菊をチェックひらめき電球

切花は仏花らしい雰囲気で買う気になれず、食用菊は、小ぶりだが満開の菊が軽く20輪以上パックに詰められており、多すぎる。

菊の節句用に買った食用菊を、食べきれずに悪くするのもなんだかな。。。


と、思い、今日は買わずに、


旧暦で邪気払いすることにします。

(ということは、十五夜よりも先だ)

今日までの旅行滞在中の細かな時間と、帰りの飛行機は、

森博嗣「ナ・バ・テア」を読んだ。


ナ・バ・テア (中公文庫)/森 博嗣
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こちらは映画化もされた同氏の「スカイクロラ」に続くシリーズ第2弾。


主人公は戦闘用航空機のパイロットの、

ピュアで、深くて、答えはないが、人間の本音と言えそうな物語。

というのは、前作「スカイクロラ」と同じ。

2作目のためか、強烈な虚無的な印象は前作ほどはなく、純粋に物語として楽しめる要素多く感じた。

本作の主人公の性別が女性という点と、恋愛がより重要な位置に置かれているという点も、女の私に響く。


時系列的には、前作の10年ほど前の話なのだろうか。

この間の空白の期間になにがあったのか。。。やはり気になる。

この次は、「ダウン・ツ・ヘブン」という作品が、さらにその先の2作品も出版されているので、飽きるまで少しずつ読み続けることになるだろう。



ちなみに、「ナ・バ・テア」の英語表記は「None but air」のようだが、

Wikipediaで調べると、興味深い結果がでた。(下記Wikipediaより)


ナバテア人は元来北アラビアを起源とする遊牧民族 であり、放牧盗賊稼業貿易 などを行いながら、当時エドム人 が居住していたペトラ を拠点に生活していた。紀元前4世紀 前後には1万人弱だったナバテア人の人口は紀元前2世紀頃になると20万人近くに膨れ上がり、深刻な人口 増加問題を抱えるようになる。もはや遊牧生活では立ち行きが難しくなったナバテア人はその頃から定住生活に移行を始め、エドム人の住むペトラに腰を落ち着けるようになり、ナバテア王国が誕生した。


フムフム。

無関係とは思えない気がする。



また、巻末の、よしもとばなな氏の解説もまた、興味深い。(以下、解説文より)


「何らかのオブセッションを持っている人・・・同じモチーフが何回も創作に出てくる・・・その場面、その瞬間を書きたくてどうしても出てきてしまう、そういうようなものがない人は、別に創作をしなくても生きていける人なのです。」


そう考えると、森博嗣氏は、この作品を創作せざるを得なかったのでしょう。

そして、同じモチーフが何回も・・・というのを読んで、最近好きな、瀬戸内寂聴氏が頭に浮かんだ。


スカイ・クロラ (中公文庫)/森 博嗣
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ダウン・ツ・ヘヴン (中公文庫)/森 博嗣
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実は今日まで数日間、友人と温暖な国へ旅に出ていた。

結局後半は別行動になったのだが・・・「人のふりみて我がふり直せ」とはよく言ったものだ。

明日からの行動の参考にさせていただくことにする。



てなわけで、行きの飛行機で読み終えた。

ポール・ゴーギャン「ノアノア」

ノアノア (ちくま学芸文庫)/ポール ゴーギャン
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こちらの作品は、現在開催中の「ゴーギャン展」で知り、読み始めた。


中年期以降タヒチに数回渡り、沢山の作品を残し、タヒチで亡くなったフランス人の画家ゴーギャンは、第一回のタヒチ滞在中に製作した作品が、パリの展覧会でほとんど理解されなかった。これらの作品の理解を助けるために作成したのがこちらのタヒチ滞在紀「ノアノア」とのこと。ただ、完全な実録ではなく、かなり脚色など手が加えられているようだ。


2ヶ月以上かけた航海の後にたどり着いた、南の島では、フランス人による文明や文化が持ち込まれはじめている一方、「原始」や「野蛮」もまだ存在していた。この「原始」や「野蛮」という表現は、創世記の楽園に出てくるようなイメージを持つもので、決してマイナスイメージのものではない。彼はそこで、美しい現地の妻「テウラ」を迎える。


この夫婦の愛の物語が、主に書かれている作品。

彼は自分達夫婦二人について「楽園で最初の男と女もおそらくこんな風だっただろう」と感じる。


この愛の物語を通して、原始的な生活がどれだけ神と近く、純粋な美しい人間生活が送れるかというようなそういう意味合いのことが伝わってくる。また、男と女の存在や、愛の形についても、彼の思いがこめられている。

マオリの人々が信じる神話も多く登場する。

ちなみに、少しだが、仏陀の言葉も登場。やはり避けて通れない。



彼の絵を見るときに、彼が興味を持ったこと、考えたこと、描かれている側の人々がどのように考え、生活をしていたか。。。がムクムクと浮かんできて、胸がいっぱいになる。


そして、原始的な人間本来の姿に近い世界を知ることで、人はそもそも何を求めていて、何が余計で、何が不安で、どうあることがベストなのか・・・etc.を発見できるかもと、思ったりもした。先人の残した歴史や哲学者達の残した著書からも得られることかも知れないが、もっと原始よりのものから何かを感じたい欲求に駆られた。古事記やギリシャ神話を読むのも良いかもしれない。



そして、

こんな便利な書籍があるのなら、もっと早く読んで、より興味深く絵を鑑賞すれば良かった。。。と少々反省するが、


ゴーギャンの意見としては、絵を理解する必要はないらしい。

ただし、音楽と同じで

「理解するかわりに、ほかのところにあなたの感動を求めなくてはならない」

と、残しているそうだ。



フムフム。

感動するにしても、理解するに越したことはない。

とくに芸術的センスに自信のないナオキャンには、本書は必要だっただろう。