近々、とあるお城での吟行会にお呼ばれするため、漢文絡みの新書を読んで下地を作っている。
休日の午前中の読書ははかどる。
今朝はこちらを読了。
- 漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)/加藤 徹
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遣隋使から始まって、日本での漢文の浸透と独自発展~近代の衰退する漢文教育までが、
歴史や人物の逸話と共に実に興味深くまとめられている本。
思わずニヤリ
としてしまうような、知的好奇心をくすぐるエピソードが満載だ。
特にニヤリ度が高かったのは、
江戸時代に、中国・朝鮮の重要(機密)漢文書籍が輸入しされ、日本で出版されていた
という、海賊版的歴史。
本国では要人以外には機密にされていた文書が日本の書店で売られていることに、中国・朝鮮の留学生は度肝を抜かれたらしい。それらは当然(!?)逆輸入されたようだ。
今の海賊版CDやDVDの逆パタンだ。
昭和天皇の玉音放送と独白録の漢文訓読調文。
敗戦は「孫子の兵法」への理解実践が足りないことが第一の理由に挙げられている![]()
日本人にとって、漢文はもともと中国の外国語で、
卑弥呼の時代から、江戸時代ごろまで、最上層が漢文を使用し、最も低い層は現地の言葉(ヤマト言葉)を使用し、中間層は上下の言語(漢字と仮名)の混在する言葉を使う。
(江戸から明治にかけては、中流実務階級の教養になるのだが)
言語文化の三層構造というらしい。
今で言うと、日本の外資系企業の上層部は純正英語、中間層は英語と日本語を、平社員は日本語を使う、、、みたいな。
そもそも、三層構造の言語文化は昔の植民地時代から定番化している。
しかし、近代~現代の漢文となると、感じは既に日本語化しているため、扱いは少し異なり、
漢字を国語として使わない韓国やベトナムも含め、東洋人としてどこかで共有できるものに思える。
漢文の共有で、国籍はもちろん、世代や階級を超えた教養大系が共有できるということのようだ。
旧約・新訳聖書を万人が共通して読んでいるわけでもないこの国で、漢文でも何でも、共通した教養のバックボーンはあるに越したことはないのだろう。そのバックボーンは、サブカルチャーでないほうが望ましい。
以上。
勉強になりました。


