近々、とあるお城での吟行会にお呼ばれするため、漢文絡みの新書を読んで下地を作っている。



休日の午前中の読書ははかどる。



今朝はこちらを読了。


漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)/加藤 徹
¥756
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遣隋使から始まって、日本での漢文の浸透と独自発展~近代の衰退する漢文教育までが、

歴史や人物の逸話と共に実に興味深くまとめられている本。


思わずニヤリにひひとしてしまうような、知的好奇心をくすぐるエピソードが満載だ。


特にニヤリ度が高かったのは、



江戸時代に、中国・朝鮮の重要(機密)漢文書籍が輸入しされ、日本で出版されていた叫びという、海賊版的歴史

本国では要人以外には機密にされていた文書が日本の書店で売られていることに、中国・朝鮮の留学生は度肝を抜かれたらしい。それらは当然(!?)逆輸入されたようだ。

今の海賊版CDやDVDの逆パタンだ。



昭和天皇の玉音放送独白録の漢文訓読調文。

敗戦は「孫子の兵法」への理解実践が足りないことが第一の理由に挙げられているガーン



日本人にとって、漢文はもともと中国の外国語で、

卑弥呼の時代から、江戸時代ごろまで、最上層が漢文を使用し、最も低い層は現地の言葉(ヤマト言葉)を使用し、中間層は上下の言語(漢字と仮名)の混在する言葉を使う。


(江戸から明治にかけては、中流実務階級の教養になるのだが)


言語文化の三層構造というらしい。


今で言うと、日本の外資系企業の上層部は純正英語、中間層は英語と日本語を、平社員は日本語を使う、、、みたいな。


そもそも、三層構造の言語文化は昔の植民地時代から定番化している。



しかし、近代~現代の漢文となると、感じは既に日本語化しているため、扱いは少し異なり、

漢字を国語として使わない韓国やベトナムも含め、東洋人としてどこかで共有できるものに思える。


漢文の共有で、国籍はもちろん、世代や階級を超えた教養大系が共有できるということのようだ。


旧約・新訳聖書を万人が共通して読んでいるわけでもないこの国で、漢文でも何でも、共通した教養のバックボーンはあるに越したことはないのだろう。そのバックボーンは、サブカルチャーでないほうが望ましい。


以上。


勉強になりました。

文化村ザ・ミュージアムで開催中の「レンピッカ展」


月曜日に行った。


アールデコの女性画家、タマラ・ド・レンピッカの作品50点がほぼ年代順に、

彼女の人生の曲折を紹介するとともに、時代にも関連付けて展示されている。



生涯学習のナオキャン-レンピッカ

今回気に入った作品のポストカードは2枚購入。



彼女、ぎりぎり19世紀末に生まれたポーランド人で、ロシアに住むころにロシア革命を経験している。あの時代に触れるとほぼ必ず登場する、「亡命」という文字、ぬるま湯で育つ私は、多少の憧れを感じる。


そして彼女、芸術家の例にもれず、自由でユニークな人生を送ったようで、作品と自身を通じて、当時の社会へ新たな女性のあり方を提案したようだ。


素人の私は、特定の画家の美術鑑賞をする際、

事前に、画家自身についての興味から、何に注目するかを意識してみるのだが、

ここ最近、女性学を意識している私、

今回は、


「彼女が女として感じる女性とその魅力」


が、みたかった。


彼女が「描く魅力的な女性」は概して、


衣装や髪、マニキュアや手のポーズなど、細部まで行き届いた美意識、

太くて長い腕の持つたくましさ、

強い自我を持ちつつも割らない、しっかり閉じた肉厚な唇、

その結果として、モノ言いたげなうつろで伏目がちな瞳。


をもっているような印象だった。

ついつい、何を思っているのか、想像してしまうような。

当時の女性のポジションからくる葛藤や、欲求不満などを考えてしまった。


以前、男友達の一人から、

「細くて荒れ気味な女性の手に色気を感じる」

という意見を聞いたことがあるが、それに近いものがあるかもしれない。


今回の展示をみて、女性の描く絵にことさら興味を覚えた私。


ミュージアムショップで、少し気になっていた女性画家「フリーダ・カーロ」の本を買って読んだ。


フリーダ・カーロ―痛みこそ、わが真実 (「知の再発見」双書)/クリスティーナ ビュリュス
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タマラ・ド・レンピッカより15年くらい後のメキシコ人。

シュルレアリスムの人でタマラとは全くタイプの女性画家で共通項は時代と性別・・・くらいだろうか。

このシリーズの本、紙もよくて、カラーでいろんな作品が紹介されている上に1600円で、優秀だ。

次は、19世紀に活躍した画家のを見てみたい。

最近、新書づいている。


そういえば、渋沢さん、明治維新の人だった。

近代の著書も現代語訳でより読みやすく、、、助かります。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)/渋沢 栄一
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「右手に算盤、左手に論語」がキャッチコピーの彼、

両手ふさがってたら、算盤を弾けないじゃん!?と、突っ込みたくもなるが・・・


この渋沢栄一という人物に興味はあっても、著書は初めて読んだ。

訳のせいもあるとおもうが、この存在感と安定感、そして、人間らしさで解かれる哲学は、非常に知に足がついているというか、実用的なものだ。


儒教は宗教とはちょっと性質が違うものではあるが、

彼は、儒教の信頼できる理由として、

「キリストのそれと違い、孔子には奇蹟が起こっていない」

ことを言っている。



ただ、地道に日々学び続け、自分と物事の道理をわきまえ、進み続けるのみだ。


忠恕の精神は忘れない。

しかし円満すぎてはよくない

「角」は必要である。


基本は「中庸」・・・やっぱりバランス感覚が大切なのだろう。


特に、「(知恵)」「(愛情)」「(意思)」

の3つのバランス。



結局、

頭や心が空っぽであれば、バランスをとる必要がないが安定感はなく、

ある程度の重さがある、安定感のあるバランスをとるために、私に足りないものは、

勉強、と地道な努力であります。


そういえば、論語も、最初から最後まで通して読んだことがない。

これは読むしかない。どの訳を買おうか・・・