【ル・コルビジュエの家】★★★
解説
20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが設計した南アメリカ大陸唯一の邸宅クルチェット邸を舞台に、隣人とのささいなトラブルが大騒動に発展していくブラック・コメディー。成功の証に名建築に暮らす主人公が、隣家の住人が窓を作ろうとしたことから、家族の崩壊などさまざまな問題が浮かび上がってくるさまを辛らつに描く。アルゼンチンの実験映画、テレビ業界に新風を吹き込んできたガストン・ドゥブラットとマリアノ・コーン監督が放つ、シュールな笑いがさえる。
あらすじ
椅子のデザインで世界的な成功をおさめたレオナルド(ラファエル・スプレゲルブルド)は、近代建築の巨匠として有名なル・コルビュジエが設計した南米唯一の邸宅に、妻子と共に生活していた。ある朝大きな音で目覚めた彼は、隣家の住人ビクトル(ダニエル・アラオス)がレオナルド宅に向けて窓を作るべく、ハンマーで壁に穴を開けていることを知るが……。
隣に越してきた住人、スキンヘッドの男ビクトルだが確かにあまりかかわりたくない隣人、言葉も荒いし頑固で不気味な危険な人物というイメージ、壁に穴を開け陽が入るように窓をつくろうとしていたが、ル・コルビジュジエの家に住む一家の主人レオナルドが家の中が丸見えだし・・・法的にもだめなので埋めるようにお願いするが折り合いがつかず・・・。
こんな世の中だしいきなり大胆な工事をして常識ないねとか思って見てたんだけど、自分も隣人の迷惑は受けたことがあるのであれがすごいストレスになることも体験してるしそれで映画でも夫婦感の仲も悪くなっていったり。。。
昔はさ、隣人といえば助け合ったりして生きていくみたいなとこってあるって言うじゃん。
今は隣人っても本当に土地の問題もあって近いとこにあるし、やっぱりうまく仲良くしていけるといいけどって気持ちがあっても自分の中にあまりにもドカドカ踏み入れられると警戒もしてしまう。
それがいけないともいえないんだけど、この映画の関するコメでこんなことが書かれていた。
抜粋して載せさせていただくと・・・。
『おそらく観客であるあなたは、知的な家具デザイナーの主人公に感情移入するだろう。しかしどこかの国の他者から見れば、日本人のあなたこそが実は「不気味な隣人」であるかもしれないのだ。そこに本作の隠れた恐ろしさがある。』
排除か妥協か、それとも受け入れるのか。それはグローバリゼーションによって世界がフラット化し、さまざまな正義が衝突しつつある今、すべての国の人々に突きつけられた刃のようにも見える。』
この書かれてること「まさに」ですよ。レオナルドに感情移入してたけど、う~ん確かにこういうとこから逆に隣人との不仲な関係が生まれていくってこともひとつあるのかもって思った。
とにかく、ラストがビックリする終わり方でした。
それまでが淡々と揉め事みたいにやりあってたのに、本来隣人というのはこういうことなのかもしれない。
ただ時代が時代だけにっていうのもあるし、でも人と知らない人との交流はわからないし警戒心は持ってしまいがち、もちろんいい人とも限らないんだけど・・・そういういろいろなこと考えさせれる内容でしたね。
たしかに後味は良くない映画でした。
よくわからない記事になってますが、気になったらどうぞ。