横アリが終わってから、とにかく早く5人になっためせもあ。のライブが見たかった。

9人の集大成、めせもあ。最大規模の横アリは本当に素晴らしかった。言葉なんて陳腐なものにおさめるにはあまりにも眩しく、儚く、強く、逞しく、美しく、誇らしく…本当に、本当に素晴らしかった。

日が経つにつれ、どんどんさみしくなった。不安になった。自分の気持ちがこれからこの寂しさに耐えていけるのか、不安定になっていくのを感じた。

でもめせもあ。に対しては何も不安じゃなかった。どんなに寂しくても、5人でだって最高に楽しくて幸せで、私の大好きな“MeseMoa.のライブ”をしてくれると信じていた。

だから一刻も早くライブに行きたかった。

「ほらやっぱり大丈夫だった!」って安心したかった。

MeseMoa.というグループはいつだって『最新が最高』だもんね!それがMeseMoa.だよね!と。


思った通り、カウコンめちゃくちゃ楽しかった。

頼もしくてかっこよくておもしろくて楽しくて、大好きな“MeseMoa.のライブ”で幸せだった。


そして絶望した。


こんなにも楽しくて幸せな“MeseMoa.のライブ”ですら、この寂しさを無くせやしないのだと分かってしまった。誰もがそうだと実感してしまった。その最たるは5人だと目の当たりにしてしまった。それでも我々に寄り添いボロボロで踏ん張る5人を見て、痛くてたまらなかった。


驕っていたなと思った。全力で楽しむことで元気づけられると。好きが力になれると。彼らも私もそれだけではまだ救い切れないほど9が大切だった。

浅はかだったなと思った。気合充分にただ楽しませてくれるものだと思っていた。彼らは優しすぎるほどに優しいのだった。

人生で1番無力を感じた。私にどうこうできるような出来事ではないと遅ればせながら悟ってしまった。何より私が全然どうにもできていなかったのだと気づいてしまった。


いつからかMeseMoa.の力になりたいと思うようになっていた。たくさんたくさん支えてもらって救ってもらったから。MeseMoa.が苦しい時は、沈んでしまいそうな時は、私が支えて、引っ張りあげるつもりで大好きで居るんだと強く思っていた。


けれど結局私はMeseMoa.に救ってもらうのだった。

『どの時代のMeseMoa.も最高である』という2代目リーダーの言葉で、張り詰めていた私の心は綻び、しまい込んでいた感情を優しく抱きしめることができた。

それは、むすめん。から改名するという発表で初代リーダーが「むすめん。はずっと10人です」と言ってくれた時と同じような感覚だった。

あぁこの人がリーダーなのだ、と私の中で完全にピースがハマったように感じた。




今は…やめるつもりも変わるつもりもないけれど、少し、疲れたな、と思っている。愛する事にも、愛される事にも。

卒業が近づくにつれ、この先、5人との別れをもっともっととびきり痛いものに育ててやろうと覚悟を決めていた。

だけど肝心なことを忘れていた。人間関係とは相互作用だということ。私が別れを育てるほどに、きっと彼らにとっても別れが育つのだ。痛みを味わせることになるのだ。

そういえば、だから私はあまり他人の人生に介入したくないのだった。大切にしたいという気持ちが強くなってすっかり忘れていた。もし今時間を戻せたら、私は会いに行く事をやめているかもしれないね。


まぁまたそのうち元気になるでしょう。

そして今まで通り「大好き」を伝え続けるのだ。性懲りもなく。そうやって選んでたどり着いた「今」が愛しくてたまらないもの。

ただ、今は少しだけ、休みたい。座り込んでいたい。

また立ち上がれるようになったら、もっとしっかり手を繋いで共に行こう。踊り明かそう。


愛し愛され、失い、残る。それを確かめよう。