パシ横が終わってからかな。

なんか一気に心が晴れたような、また1歩進めたような、逆に色々変わってしまう前に戻ったような、そんな風にライブが楽しくなった。

…楽しめるようになった、の方が正しいのかな。 


MeseMoa.を信じ続けるという選択で辿り着きたかった所に辿り着けたから?

何度も何度もわんにゃんに心を教えてもらって感情を掬ってもらったから?

家族とちゃんと話して気持ちを伝えたからかもしれない。

それとも大切な友人がまた隣で笑っていられるようになったからかな。

そのすべてかも。


2024年、端的に言い表すと『踏ん張った1年』だったなと思う。

新年早々5人の痛々しさや世の中の大きな悲しみに飲み込まれて絶望を感じた。

でもわんにゃんが、進んだ先に光はあると見せつけてくれて、とにかく未来を信じようと脚に力を入れた。

少なからず心を寄せていたちょこぼ、Chu-Zと立て続けに活休の発表があった。私自身より友人の心を案じて、でも何も出来ないことはわかっていて…これも信じるしかなかったな。

全国ツアーを回った。楽しかった。

“大丈夫”になろうとしていた心は“そのまま”でいいと諭され、涙が止まらなくなる夜が増えた。そんな時は『願う』を聴いていた。

下半期は1人で現場にいることがよくあったと思う。

あまりに大きな変化がたくさんあって、心がついてこれなくなった友人にできることはやっぱり何もなかった。何もなかったけど、せめて私といる時くらいは少しでも楽しい時間を作れたらいいななんて、コロナ禍にMeseMoa.を想っていたような気持ちで想っていた。上手くいかなくてぐちゃぐちゃになった時もあったけど(笑)

それでも私はあの子と一緒にいたかったから、どんどん変わっていくものの中で、私くらいは変わらずこの場所に居続けてやろうと踏ん張っていた。「おかえり」って言いたかった。


地元では、何度か脳梗塞を起こしていて会う度老いていく祖父、喫茶店を経営しながらその祖父の面倒を見る祖母、そんな両親を気にかけ手伝いながら自分の仕事や家のこともして大変そうな母親、2年前に祖母が亡くなってから明らかに寂しそうな父親、ゆっくりと、でも着実に調子が悪くなっている犬。

家族の助けになりたい気持ちはもちろんあったし、残り短い時間をなるべく多く一緒に過ごしたい気持ちだってある。だけど外に出来た私だけの大切なものも捨てたくなかったし諦めたくなかった。

都会に生まれた人は家族のそばにいる事とライブの行きやすさを天秤にかけなくてもよくていいな〜なんて思ったりもした。

お正月、家族が集まった時にちゃんと話した。ありがとう。ごめんね。



進むことをやめずに必死で旅を続けてくれたMeseMoa.と、いつでも『楽しい』を用意してありのままの心でいさせてくれたわんにゃん。

あなた達の“今まで”が、私にあなた達との未来を信じさせてくれて、信じる気持ちで踏ん張れた。

どんなにしんどくてもさみしくても崩れ落ちてしまいそうになっても、きっと未来はハッピーだらけで、明日は友とどこに行こうって考えられた。

そのステージに何度も救われたよ。本当にありがとう。



今わんにゃんのツアーを回っていて、本当に、本当に楽しい。私の心なのか友人の心なのかステージの心なのか、混じって境目がわからなくなるくらい、全部が楽しくて幸せでいっぱい。


私の周りのすべての大切な人へ

『あんたがいなきゃ僕の今はない

あんたとだからこの先も生きたい』


きっと私達今みんな同じ気持ち。

ありがとう。

大好き。

愛してるよ。

ありがとう。

ありがとう。