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私が小学生の頃。
母の後ろに 暗い感じの女性がいました。

着物を重ね着していて 高貴な雰囲気の方でした。



母のことを相当 恨んでいるようでした。

その女性から
『手出しするでない。お前も同じ目にあいたいか!』と脅されました。

娘なので、どっちみち 私にもこの因縁がまとわりついてくるんやろ?と思いました。

『何があったのですか?話してくれませんか?』

『お前なんかに言うものか。・・苦しめて苦しめて追いつめてやるのじゃ。そう簡単に死なせはせんぞ。』

そんなやり取りを何回もしました。

ある日
『話す気になったら教えてくださいね。』

『・・話してもいい。』
やっと話してくれました。

その女性が生きていた頃は、年号を言われたのですが小学生の私には全く理解できず汗戦のある時代としかわかりませんでした。

その女性 T姫はある国の殿に嫁ぎ、奥方として何不自由なく暮らしていました。

戦を防ぐために他国と同盟を結び人質を交換することになりました。

T姫が人質として他国へ行きました。
T姫のお腹の中には子供が宿っています。

他国での人質生活は、必要最低限の生活でした。衣食住は約束されていますが冷遇され、国から連れてきたT姫の世話人をT姫の許可なく国に帰してしまいました。

世話人が再びやって来るときに、国からの差し入れや手土産を持ってこさせるため国へ帰らせたようです。

T姫は持ってきた物や自国からの差し入れを世話をしてくれる人に配りながら なんとか生活をしていました。

日に日にお腹が大きくなり やっとのことで子供を出産しました。でも生んだばかりの子供は見せてもらえず死産だったと伝えられました。

初めての子供の誕生を待ちわびていたのに、一目も会えずにお別れでした。

胸が張って痛くて泣き(母乳が溜まると痛いのです) 自分のお乳を子供に飲ませたかったと嘆きました。
子供を抱き締めたかった。
育てたかった。
殿に子供を会わせたかった。

子供をちゃんと生めなかったと何度も何度も自分を責めました。

他国で一人ぼっち。
悲しくて泣いて過ごしました。

T姫は だんだん頭がおかしくなりました。「うつ」です。
症状が悪くなっていき 狂いながら衰弱して亡くなりました。

亡くなってから、T姫は知らなかったことがわかるようになりました。

自国の殿は新しく妻(側室)を迎えていました。世継ぎをつくるためとはいえ、T姫のことなど忘れているかのように楽しく暮らしていました。

死産だったと聞かされていた子供は生きていました。

男の子でした。
薄汚れた細い体にボロを着ています。

他国の家臣の者が預かって育てていました。
情がわくといけないからと、数日預かっては次の者へと預けます。子供はたらい回しにされていました。

それでも気にかけてくれる女性が面倒をみていましたが、その人とも離されてしまいました。

子供は愛情をもらえないまま数年育ち 流行り病で亡くなりました。4~5歳だったのではないでしょうか?

本来ならば、若君として何不自由なく大切に育てられたはずです。

それなのに乞食のような姿の幼子。
親は死んだと聞かされていて いつも一人ぼっちです。仲良くしてくれる人もいましたが、そうなると離されてしまいました。

子供は「呪われた子」と言われ悲しくなって泣きます。誰も慰めてはくれません。

子供は亡くなってから初めてお母さんT姫と会えました。

同盟を結んではいるけれど、若君が成長して戦をけしかけてくるかもしれないと心配した他国の殿は若君をなき者としたのです。

女の子だったら T姫に渡していたのかもしれません。



T姫は全てを知り、自分は人質として犠牲になり、愛しい我が子はこんなにひどい目にあわせられていたのかと怒り 人々を恨みました。様々な霊障をひきおこしたようです。


私は なんてひどい話だ!と涙が溢れましたえーんこの話を聞いたとき、小学校の授業中だったのです。

T姫の感情の渦にまかれて体が震えました。涙が止まらなくなって声が出そうになるのを必死にこらえて、授業が終わってすぐトイレに駆け込みました。

号泣でしたえーん

T姫と子供さんに
『よく耐えてきましたね。あなた達はえらいです。』と語りかけました。

するとトイレの神様が出てこられて
『そなたの思いは尊い。だがここで語りかけるのはやめよ。トイレは不浄の場所である。祈りを捧げるのには不向きだ。』
と教えてくれました。

トイレの神様にお礼を言い、教室に戻りました。

一旦お話は中断させてもらって、家に帰ってからT姫とまたお話をさせてもらえるようにお願いしました。

担任の先生が心配してくれたようで、職員室へ呼び出されてしまいましたあせる
『悲しいことを思い出しました。』と言うしかなくて本当のことは言えませんでしたショボーン

そうして自宅に帰ってからお話を聞かせてもらいました。

私の母は、そのときの他国の殿の一族だったようです。


『そんなことがあったのですね。そりゃ恨んでもいいよ。母は過去の出来事を忘れてるから、「そんなこと言われても知らん」って言うやろうけど。報いは受けて当然や!思う存分やり返してもええと思います。でも、仕返しして気分は晴れるん?T姫は救われるん?子供さんも救われるん?幸せになれるん?』

T姫が哀れで また号泣してしまいましたえーん

T姫も泣いていました。

『今は戦なんてないし、人質なんてないよ。皆幸せになろうと生きてる。いつまでもそのままでええん?もう一度生まれておいでよ。今度はその子と親子幸せになれるように計画たてて生きれるようにしようよ。いつまでもそのままやったらあかんよ。』

許せないと思う気持ちはそう簡単に消えません。

お二人をお救いしたくて何度もお話をしていくうちに いつの間にかいなくなりました。


それから月日は過ぎて、私も結婚をし子供を出産しました。

出産する前に、先輩が『降霊をしよか?』と言ってくださったのでお迎えしました。降りて来られたのが T姫でした。

聞いたことのあるお話だなぁと思いましたが、25年程前にT姫から聞いたお話ですからすっかり忘れていました。

『キンクマちゃんとご縁のある人やなぁと思ったよ。素直に話してくれたからよかったなぁ。いつもやったらこんな人が降りてくると怒りで震えたりするねんけど、それほど撹乱した感じは無かったわ。キンクマちゃんに救われたって感謝しとったけど何かしたん?』と先輩から言われました。

『何かしたんでしょうか?』と本当にわからなかったのです汗

そのときにT姫の命日を教えてもらい書き留めていました。

息子が生まれてしばらく経ったある日、そういえば T姫の命日っていつだっけ?と思って調べてみると なんと息子の誕生日と同じだったのですびっくり
そんなこともあるの?と驚きました。

毎日が誰かの命日であり誕生日なのです。

この記事を書いているとラップ音がして カーテンがバサッと動きました。
いや~んあせる脅かさないで~あせる
ビビりました笑い泣き


きっと今も 誰かに恨みを抱いて苦しんでいる方がいらっしゃるのだろうなぁと思います。

どうか、お一人でも多くの方が救われますようにと心より願っていますお願い