須磨寺の境内に、出世稲荷があります。
小学生の頃、初めて訪れたときにこの神様から出世稲荷の歴史を教えてもらいました
昔、平清盛さんが造営した福原京の守護神として湊川の畔に祀られたそうです。
武家として立身出世を成したので出世稲荷として信仰を集めました。
福原京は、1180年6月から11月まで安徳天皇(清盛さんの孫)が入られました。
福原は、今の神戸市兵庫区平野のあたりです。
中国(宋)との貿易を平清盛さんは指揮したいと目論んでいたようで、港を整備しました。
でも福原は、半年ほどで挫折。
1183年源氏と平家の合戦で、福原は火をつけられてしまい消滅したのです。
その後も出世稲荷は信仰されていましたが、明治中期に湊川改修工事のために平家のゆかりの深い須磨寺へと遷座されたそうです。
出世稲荷には、尾玉、荒熊、末廣の三明神がいます。
この神様達から
『平家の者達を救済してくれ。』と頼まれました。
敦盛さんを助けたいと思っていたので
『救えるかはわからないけど、できる限りのことはやります。』と約束をしました。
敦盛さんが無事に魂のふるさとへ帰られて、この世に転生されたことを神様達も泣いて喜んでいました。
神様だからって何でもできるわけじゃないし、神様も泣くんだなぁと衝撃を受けました。
そんなん神様だから、大好きなんです
いくつか平家ゆかりの地に行くことがありました。その地でも、救済を求める声をよく聞きました。
中学生になって歴史を学ぶと、戦がたくさんあること、仲間であっても裏切りや足の引っ張りあいがあったことを知り、ドロドロやんと思いました
須磨寺へは定期的に行き、敦盛さんの首塚で平家の皆様が救われますようにとお祈りしました。
須磨寺でも定期的に追善供養がされていて、多くの方が救われていると思います。
敦盛さんが転生をされて首塚からいなくなっても、平家の方が首塚を守っているのです。
『まだ救済は必要です。我らを想うてくださるとは、ありがたい。』と涙を流されるのです。
供養はいつまで必要なのだろうと胸が締め付けられて涙が溢れました。
2014年に出世稲荷のお社が新しくなりました。ますます光輝くお社になっています。
三柱の神様は、明るい色(黄色、水色、ピンク、オレンジなど)のお召し物でした。
眩しくて、目を閉じても眩しくてビックリするくらいとにかく明るいのです。
ますます力強い神様になっているんだなぁと思います。
大好きな稲荷社です