小学3年生の時に、初めて須磨寺へ行きました。亡くなった姉のお墓の相談です。


尼僧のあんじゅ様とお話をしているとき


『フエ!フエ!・・』


フエという言葉が連呼して聞こえるのです。


あんじゅ様に

『さっきからフエフエと聞こえてくるんです。何か意味があるのかなぁと思って?』と言ってみました。


『あら、笛が呼んでいるのかしら?須磨寺には、青葉の笛というのがあるのよ。お社に祀ってあるの、行ってみるといいわ。』


他のお坊さんが、案内してくれました。


青葉の笛をお祀りしたお社がありました。


今は、お社はありません。


笛は宝物館に展示されています。


お社につくと、案内してくれたお坊さんにお礼を言って帰ってもらいました。


お社に参拝しました。


誰も出てきません。


笛だから誰もいないのかなぁ?としばらく待っていると巫女さんみたいな方が出てこられました。

30cmほどの大きさです。


青葉の笛について教えてくれました。


この笛は、敦盛さんの祖父 平忠盛さんが鳥羽院から拝領したもので、敦盛さんの父 平経盛さんが受け継ぎ、敦盛さんへと渡ったそうです。


青葉と言われていますが、本当は小枝(さえだ)という名前なのだそう。


鳥羽院が所持しているときは、小枝(こえだ)と呼ばれていました。


平家の所持品となってから呼び名が変わったそうです。


宝物館から↓右側が小枝です


左の笛も敦盛さん愛用だったそうです。
名前は特にないようです。



『敦盛公の墓所(首塚)があるので案内します。ついてきてください。』小さな巫女さんの後をついていきました。


首塚につくと

『どうか、救済してください。よろしくお願いします。』巫女さんはお社へ帰ってしまいました。


どういう意味なのかサッパリわかりませんでした。

ひとまず、敦盛さんのお墓なんだなぁと思いお参りをしました。

丸いボールが出てきました。

ボールが顔になりました。

首から下がありません。

敦盛さんでした。

ご挨拶をしました。

『みえるのか?私の姿がみえるのだな?』

『はい。みえてます。体はどうされたのですか?』

どうやら、首を切られたせいで魂までもが分離をおこしているようでした。

体は別の場所に葬られていて、そこでも供養されています。

『さきほど、青葉の笛のお社で笛のことを教えてもらいました。敦盛さんは笛が上手なのですね。演奏を聞きたかったです。』

『青葉の笛?そのような笛は知らぬ。私の笛は、小枝(さえだ)ともうひとつ。2本の笛を持っていた。』

『名前が違うのですか?青葉の笛が敦盛さんの笛なら、サエダという名前なんですね。 間違って伝えられてるんだ。』

『・・みての通り、こんな姿では笛も吹けぬ。生前は、よく笛を吹いていた。』

誰かが出てきて、敦盛さんと話をしていました。

何やらごそごそと用意をして、敦盛さんと二人羽織になりました。

笛の演奏が始まりました。

後ろに2人いて顔と笛を担当していました↓

横笛の演奏は、聞きなれないので上手いのか下手なのかよくわかりませんでしたあせる

どうやら私の眷属達が、敦盛さんを手伝って演奏を聞かせてくれたのです。

私は拍手をしてお礼を言いました。

敦盛さんといろいろとお話をしました。


魂のふるさとへかえれず、次に生まれることができないと諦めていたそうです。


供養をしてもらえることをありがたいと思っていました。


私もどうすることもできず、ただ敦盛さんが救われますようにと祈りました。


キラキラとした者がやってきました。


仏様です。


『この者を救いたいか?』


  『はい!救いたいです。どうすればよいですか?』


 『体を迎えに行くとよい。よいか、生半可な気持ちであるのならばやめておけ。最後までやり遂げるならば支援しよう。』 


『やります。頑張ります。・・ありがとうございます。』


『あちらの方向に墓所がある。詳しいことは眷属に教えておく。よい眷属達だな。皆で協力してやってみよ。』


仏様は消えてしまいました。


体がガクガク震えました。


何をどうすればよいのかすらわからないのに、私にできるのか?と不安がよぎりました。


『さぁお嬢、今日のところは帰りましょう。帰ったら作戦会議ですよ。やることたくさんありますから覚悟してください。』


敦盛さんに

『必ずお助けします。また来ますからね。』

挨拶をしてからあんじゅ様のところへ戻りました。


あんじゅ様に報告をして、敦盛さんのもう一つの墓所の場所を教えてもらいました。


その日帰ってから、眷属達と作戦会議をしました。

つづく音譜