私が小学4年生のときに、父と姉と私で京都の三十三間堂へ行きました。

父は、47歳でした。


参拝すると、仏様の腕が数本出てきました。


その中からふさわしい腕を借りることができます。


父が参拝すると、何も持っていない手が数本出てきましたびっくり


その中の1本が父の腕に入っていきました。

何の手なのかがわかりませんでした汗


参拝後から父は、ピアノを習いたいと思うようになりました。ピアノなんて習ったことなかったそう。


父は19歳で自衛官になり音楽隊をしました。アコーディオンを担当していたそうです。習ったことないのに、なぜかひけたのだそう。


30歳で転職して会社員となりました。


参拝後、ピアノは高いから買えないと諦めキーボードを買って習いに行きました。


夜勤もあるのに、時間の調整をして学ぼうとしている父は、すごかったです。


右腕がキラキラと輝いていました。

仏様の腕が磨かれたのです。


さらに、歌謡教室へ習いに行き、歌を学ぶのと平行して教える側の勉強も始めました。


自分で歌謡曲を教えるほどになり、歌謡教室を開くことになりました。


定年退職をすると、歌謡教室を増やして毎日どこかへ教えに行っていました。


78歳まで続きました。


78歳の時に、転んで膝の骨を骨折して入院。


回復したら、今度は心不全で入院。

入院先で、脳梗塞になり左半身が動かなくなりました。


半年程リハビリ入院をして、歩けるようになりました。


でも左側は麻痺が残っているので、今まで通りにはいきません。


キーボードは、不自由ながらもひけました。


上手いやんと思ったのですが、父は『もうあかんなぁ。』と潔く諦めました。


父は、体が悪くなってからお経を読むようになりました。


父が80歳の頃、私は43歳。

私がお世話に行った時にお経を読んでいました。


読み終わると、空中から手が出てきました。


こんな感じ↓手だけしかみえませんでした

父の頭に触れ、肩や背中、腰、足にも触れていきました。


これは仏様の手やろなぁと思いました。


父の右腕から腕が抜かれました。


少し誇りが被っているようでした。


布のようなものでひと拭きすると腕はピカピカに輝いていました。


キラキラしたものがやって来ました。

仏様でした。


こんな感じ↓50cmくらいの大きさ


父から抜かれた腕を返していましたびっくり


そして新しい腕を貸してくれたのです。


その腕は、父の左足へと入っていきましたびっくり


『悪くなった足の支えになるだろう。長くは持たない手だ。しばらく使うとよい。』


仏様はスッと消えてしまいました。


父は、足が軽くなったと言い、近くのコンビニまで歩いて買い物に行けるようになりました。


でも、だんだんと弱っていき、歩けなくなり85歳で他界しました。


子供の頃は、仏様の手を借りるということの意味がよくわかりませんでした。


今ならわかる気がします。


お寺に参拝に行けなくなっても、仏様はちゃんとみてくれています。

そっと助けてくれている。


仏様とのご縁を結んでおいたからこそ、家にも来てくれるんだなぁと思います。


私もいつかは借りている手を返さないといけません。

ピカピカにして返せるように腕を磨きたいと思います。


仏様の優しさに改めて感謝したいと思いました。