帰省
2年ぶりとなる京都から関東への帰省。子供二人を連れての長旅は子供も大変だけど、親も大変だ。トイレ、お腹空いた、遊びたい、寝る前ぐずりなど、対応に追われるのだ。親戚諸々10人以上の集まりとなった。この後、3日間の間、入れ替わりたち変わり、常時2桁の数字を叩き出していた。広い実家があるお陰で、窮屈感を感じることがなかった。夕方の時間帯から始まる夕食という名の宴会が始まり、十数品にも及ぶ料理とお酒がテーブルに並ぶ。一目で歓迎してくれているのが分かる。実に有難い気持ちになるな。迎えた翌日、田舎は男手が不足しており、我が実家も例に漏れず、猿から作物を守るための囲いの制作、たけのこ掘り、農作業など、仕事している時よりも重労働が待ち受けていた。旦那と私はめちゃくちゃ働いた。そして、夜はまた宴会だ。いる間はずっと、これをエンドレスに繰り返すのである。皆さんは帰省した時どんな感じですか?田舎特有かな?そして、親戚の叔父さんや叔母さんから質問攻めに合うのだ。会えなかった数年分を埋めるかのように語りかけてくるのだ。柔軟性を失った考え方は、尖りまくってあっちこっちに負傷者を出しているとも知らずに。己がいかに凄いかを誇示する為の話、あァコンプレックスの塊なんだ。自分がいかに苦労しているかの話、あァ悲劇のヒロインだ。稼ぐことが全ての話、あァ自分自身よりもお金の方が上なんだ。と心の中で思いながら、持ち前の愛想を振りまいていた。こういうことには慣れている。私の話が聞きたいのではない。誰もが自分自身が一番可愛いのだ。自分を知って貰おうと必死なのだ。人の都合などお構いなしの、自分の価値を見せしめるための話を繰り返し話していたな。どの親戚も、うち家より稼ぎが良さそうな感じだった。だが、どうしてだろう。憧れないんだよな。悲しいかなああ言うふうになりたいとは全く思わない。お金は潤沢にあるのかもしれない。稼ぐことは凄いことだし、稼げなきゃ生活できないもの分かってる。能力や忍耐力も時間も必要というのは重々に承知の上で言わせていただくと、不思議なことに、そうなりたいとは思わなかった。今の生活が幸せだし、特別に贅沢なことはできないかもしれないが、欲しいものは手に入れている。健康で楽しく生活できているし、やりたい事も小さいけれど出来ている。今幸せを感じているんだよね。執筆のお仕事も、ドラムもやりたくてやっているから、後悔はない。まァ、力不足で大金は稼いでいないけどね。色々言ってくださるのは、それだけ私のことが大事だから、苦労してほしくないから、ご自身の経験や体験から導いた結果を私に享受しているのだろう。そのお気持ちだけで受け取っておきます。ありがとうございます。自分の道は自分で決めるから、周りから何を言われようと今は変えるつもりはない。楽しいことがあって、悲しいことがあって、受け取りながら、そして与えながら私は生活を楽しんでいきたいなって、お金にならなくてもやりたいことをやりたいって、そんな子供じみたことを思っているんだよね。そして、生活できている今、マジ幸せっす。