日本国民は……
外国製のカルト宗教などに負けない!!
日本国民は……
外国製のカルト宗教などに負けない!!
「類似品にご注意ください!」←アンタが類似品だろニャ
(前記事からの続き)
明日の命、いや、今晩の命さえ分からないような圧倒的暴力で虐待され、誰も助けに来ない絶望の境遇に生かされている人々だけがイエスキリストの述べる世の終わりを文字通り信じ、生き抜く希望とする資格があります。
そうではない境遇の人々は、イエスキリストさんの述べられた世の終わりを「誰もが必ず死ぬしかもそれは明日かもしれない、死ねば電源オフで全消滅」の意味で考えなければイエスキリストさんがお墓の中で泣きます。
つまり、ハルマゲドンが来るとか言って、狂ったように我が子をぶったたいたり、世の中に背を向けて布教活動に身を投じたり、斜に構えて世の中をバカにした人々の行動は下の下の下だったということです。
イエスキリストさんを信じるというならば、失った男気や女気を回復させ、正義の執行に対する希求心、社会秩序を重んじて自らのできる範囲で正しく生き抜く戦闘意欲(?)を高めて社会と世の中に貢献するべきなのです。
昔々イエスキリストさんは言いました。
神の国は来たのです。と。
もちろん来てはいませんでした。あれはあの文化におけるイエスさん独特の含蓄あふれる表現です。すぐにイエスさん自身も殺されちゃいました。だから弟子たちは半狂乱になりトチ狂い、サウロなどは変名で無駄にカリスマ性を発揮してパリサイズム全開の教えを広めてしまいました。
クリスチャンであると言うならば、イエスキリストさんの果たせなかった遺志を、明日失うかもしれない自分の人生を大切に、愛と憐れみの心で貫いて生きていくことが大切で、その対象の最初が自分自身です。
エホバさんなどという古代の民族神と行動原理を信奉するのは、それはキリスト教でもクリスチャンでもなんでもなく、古文書の神秘性に魅入られたたちの悪い最低の中二病のこじらせであり、現代社会においてはまさにカルトと言えます。
そうです、エホバの証人とは、カルト宗教です。
エホバの威を借りてヌクヌクと暮らす醜い白人男性の老害に忠誠を誓う最低最悪のカルトであり、合衆国においても日本国においても、世界のどの国においても、信者の人間性と主体性を損なうカルト宗教です。
聖書というものは、特に聖句にまで切り刻めば、もうどうにでも解釈して適用できるものです。エホバの証人は聖書を信じているのではありません。統治体とベテルに信仰を置く偶像崇拝者です。
もしも仮に…仮にエホバさんが実在するとすれば……
その恐ろしい流血と怒りの神は……誰をブチのめすでしょうか……
もう終わって眠っていたのに、過去の遺物の中からYHWHをほじくり出し、肉付けして創作し、その威を借りて精神的ドメスティックバイオレンスに明け暮れ、それを愛だと刷り込む人々を……どうお考えになるでしょうか……
私も過去に記事にさせていただきましたが、忘れようもない悲劇「グアテマラ・ペテン県における邦人女性襲撃殺害事件」がこのJW教団の薄情さ、教理の危険な先鋭性を明らかにしています。世界の各国に居る邦人を助ける使命を帯びて危険な土地に展開する在外公館員も無念だったことと思います。なにしろ若い美人が殉じたその神が創作神であり、教団本部に人間味のカケラもないのですから。
では、
あなたならどうされますか……
仮に今夜が最後の日だとしても自分の人生を取り戻し、真の人生を1時間でも生きてください
本当に今夜が世の終わり、つまり私たちの死の日かもしれません。
今は経済的や体力的、人間関係の鎖ゆえに脱会できないとしても、いつか、いつかは必ず、その反社団体から出ると誓ってください。道は長いです。
形式として抜けるだけでなく心からも解毒していかなければなりません。その道は険しく厳しいのですが、そうしてこそ、グアテマラ邦人女性殺人事件の被害者の死や、さかのぼれば幾多の殉教JWたちの死を意義のあるものとすることができます。
墓の中の彼らの声をもし聞くことができるとすれば、優しくこう言っていることでしょう。
「あなたはまだ生きて。まずは自分を愛して大切にして。そして愛する人を大切にして。小さくてもささやかに生きればいいの。それが真理だったって、ようやく気付いたわ。あなたはまだ生きている。死ぬまでにまだ時間はあるわ」
危険な教理の先鋭性と深刻な影響力が、大勢の信者の心を惑わし、柔軟性を失わせ、まだまだ生きられた命を捨てさせてきたのです……大義に殉ずること自体は素敵なことです。しかし、その対象を誤る悲劇、それがJehovah's Witnessesなのです。
完