私はかつては街の景観に変化があり、しかも人の息遣いが感じられる、坂のある町に住みたいと思った。車が余り通らない、静かな坂道が良い。なぜそのような望みを抱いたのか、今となってはもはや理由が思い出せないが。多分、山の手とか、神戸、長崎のようなしゃれたイメージがあるからではないかと今にして思う。現在住んでいるところは、戦前は恐らく雑木林の丘陵地だったろう。直線で100メートルとして、真っ平らなところは見当たらない。私の町内も大した高低差はないが、地域全体が平地というよりは、やはり波打っている。だから妻専用の自転車は、電動付きにしている。
コロナ以前は犬の散歩は、妻がやっていた。しかし、コロナですっかり外出機会が減少したので、私が受け持つようになった。私の犬の散歩コースは、町内を周回するもので、まず下りがあり、次いで平坦なところに出て、しばらくしてから今度はずっと上りになってわが家に戻るというコースだ。高低差にして多分50メートル程度だろうか。所要時間は大体30分程度だ。この程度の坂道でも上りに入るとわずかではあるが、足の運びが緩慢になる。この暑さが余計に散歩に出るのを億劫にさせるが、日課の一つとして続けている。しかし、最近は坂のある町に住みたいと思ったことを後悔している。第一に町並みがシャレてもいないし、第二に、以前は苦にならなかったけれど歳をとるに従っていかに緩慢とはいえ登りであることには変わりないと思うようになったからだ。
|