専門家の力量とは | hello-candy-candyのおかりなブログ

hello-candy-candyのおかりなブログ

ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「Story」です。

  このブログの最下欄にリンクが張ってあります。

 

 

  議論すれども方策は見えず

 

かつて福島第一原発で冷却水を注水するかどうかを巡って緊迫した状況下で専門家が議論したり、あるいはコロナ感染者数がすごい勢いで増加した初期の段階で今後の見通しや対応を専門家が議論しているのをTVで見ていて、まるでSF映画を見ている様だったことを思い出した。津波で電源を喪失した福島第一原がメルトダウンしたら、チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故と同様、放射能が飛散して大惨事になるというひっ迫した状況をTVがリアルタイムで伝えているのを脇にしながら専門家たちが対応策をあれこれ議論していた。また、コロナの時は、完全防備の医療従事者が病院内を走り回り、ベッドの患者は息絶え絶えに人工呼吸器をかぶって苦しそうにしている様子がTVニュースで伝えられ、その画面の横で専門家たちが対応を巡って喧々諤々の議論をしていた。

 

  あてにならない専門家の見通し

 

 あの時ほど、専門家も結局はあまり頼りにならないことを知った。専門家といえども、ある特定の分野の知識はあっても、目の前の未経験な事態に対しては、結局、素人に毛の生えた程度の知恵しか持たない。むしろ頭でっかちな大学教授らのコメントを聞いていると、つい疑いの目で見てしまう。現代はすべてのことが余りにも複雑だ。私もある技術分野の専門家の端くれとして、目の前の異常事態に対して、精魂尽き果て、お手上げ状態になったことを幾度も経験した。自分一人がわかる範囲は極めて狭い。いろんな分野の専門家が目の前の問題解決のために知恵を出そうと集まった対策会議でも、船頭多くして舟山に上る、大山鳴動して鼠一匹となったことを経験した。

 

  専門家に即答を期待しても無理だ

 

 サッカーでは守りの方が、攻撃よりも難しい。新型コロナに攻め込まれた専門家が、サッカーにおける守備陣同様に、未経験の難題に四苦八苦している様子を見て、同情する。福島原発放射能汚染問題の現状を見る限り、あまり専門家に即答は期待しない方が良い。何十年後かに再来する新型コロナとは別のパンデミックに、ようやく今回の経験の成果が期待できると構えた方が気が楽だ。
 



▼Myオカリナ演奏

ダウンダウンダウン

           Story