完璧な演奏は存在しない
TVをつけたらN響の演奏会をやっていた。オーボエ奏者が気持ち良さそうに体を揺らしながら独奏していた。また、盲目のピアニスト辻井伸行さんが、首を上下に振りながら没我の境地でピアノをひいていた。彼らは、演奏ミスしないのだろうか。
確かに未だかつてプロの演奏家が、間違えたのを私は見たことがない。しかし、あるベテラン・ピアニストいわく、何百回と演奏会を開いたけれども、未だに完璧に演奏できたと思えたことはないという。我々には素晴らしい演奏だったとしても、彼らにとっては不満足な箇所が何か所もあったということだ。それは例えば、第三楽章の冒頭のドの音の響きが弱かった、というようなほんのわずかなことも、本人には満足できないようだ。
暗譜はするものか、してしまうものか
ところで彼らはほとんど楽譜を見ない。あの膨大な楽譜をどうやって暗譜するのか不思議でならない。が、音楽家にとっては、暗譜できるほど練習することは当然なのだろう。あたかも我々が会社に毎日通う道順を間違えないとか、料理人がある料理の手順なり、量なりを間違えないのと同様に。その位、練習を繰り返すから、楽譜の流れが頭に入っているということだと思う。
失敗するはずがないと思えるだけ練習
以前、私はランニングマシンで30分とか1時間走る時、単に動かぬ窓外を見ながら走るだけでは退屈なので、実際に自分が歩き慣れた路上コースを想像しながら走った。路面の凹凸だとか道路脇の建物の様子などを、結構、細部のことまでイメージできるものだ。
演奏中の音楽家もそれと同様に、楽譜の細かなイメージが浮かんでいるのかな? 付け焼刃で覚えた暗記は、どこかに記憶が飛ぶ箇所が生ずる。忘れてはいけないと思うその気持ちが、忘れをもたらす。失敗するのではないかと自分自身に不安を抱けば、不思議なものでそのように失敗するという体験は誰でもあると思う。失敗しないためには、これだけやったのだから失敗するはずがないと思えるだけ練習するしかなさそうだ。 |