この世でお金に縁のない世界はあるか | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「翼をください」です。

  このブログの最下欄にリンクが張ってあります。

 

 

  コンプライアンスという概念に戸惑う

 

 東京オリンピック組織委員会の高橋治之元理事がスポンサー企業から2億円ものわいろを貰った裁判は、逮捕から二年たつがまだ続いている。そもそもコンプライアンスという言葉を聞いてから早や20年以上が経つ。当初はコンプライアンスの意味が分からなかった。それ以前は、わいろに類する行為は非公式の世界では日常的だった。むしろ、男の甲斐性、仕事ができると自他ともに認められる人、と言うニュアンスがあった。私も現役時代、そうした行為の一端に関わるようになって、自分もようやく一人前になれたと思ったものだ。

 だが、コンプライアンスが徹底されるようになってからは、次第に犯罪だ、厳罰だという意識が高まってきた。セクハラやパワハラといった概念も同様だ。私たちの年代が、そうした金銭授受に甘い時代の最後だった気がする。この巨額の贈収賄ニュースを聞いた時に、私たちより上の世代が居座っている官庁絡みの組織では、まだ行われているのかと、むしろ時代遅れ感を覚えた。

 

  贈収賄は起こるとの前提で対策を

 

 人間の性である金銭的欲望がある限り、誘惑は無くならないだろう。問題は贈答の慣習と贈収賄の線引きと、同一ポストへの滞留年数だ。対策は、割に合わないと思わせるだけの厳罰と社会的制裁しかない。そもそも贈収賄と無縁な社会は、皇室以外には裁判官の世界だけではないだろうか。

 昔はお白州での裁きも金次第という悪代官がいたが、今ではさすがにそのような裁判官は寡聞にして聞かない。裁判官もいくら頭脳明晰、温厚で品行方正な人ばかりとは言え、世間的欲望と無縁かと言えば、そんなことはない。

 だから対策として、3年毎に転勤し、ひたすら清廉潔白な人生を歩むように義務づけられている。決して幸せな人生とは言えないが、それもすべて承知の上での職業選択であり、潔白な生涯に身をゆだねる決断をした人たちだ。人々が皆裁判官のような自意識で生きたらきっと品行方正な美しい世界になるはずだ。だが、俗世間とは良く言ったものだ。人間、欲に囲まれているから楽しい。せめて人生の終盤になっての金絡みの汚名だけは御免だ。

 



▼Myオカリナ演奏

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翼をください