事故に遭う遭わないは、運命のいたずらか ソウルの群衆雪崩による圧死事故があったのは、一年半前のことだ。159人が亡くなったあの事故は、結局、警察の安全対策不備として、警察幹部らが逮捕されたのは当然だ。被害にあわれた方々は本当に気の毒だ。誰が悪いというわけではなく、たまたまその時の勢いで悲惨な結果になってしまった。犠牲者が若者たちだったことが余計に気の毒だ。事故に遭遇するかしないかは、全くの偶然に過ぎない。だが、事故には予め殺気を感じるものと、全く突然にというのがある。 間一髪だった運命の先に今がある 振り返って私はこれまで大きな事故に遭遇したことはないが、一つ間違えれば大きな事故になりかねない出来事は長い人生の中で幾つかあった。子供の頃に私が面白半分に点火したろうそくが倒れて提灯が燃え出しボヤになったこと、若い頃に脇見運転して右折待ちの車に気付くのが遅れて追突したことや、大丈夫だろうとの軽率な判断によって車が崖から転落し兼ねなかった間一髪の危機、などだ。 年齢を重ねることで事故は減る サルなどの野生動物に事故は少ないのに、人間にはある頻度で事故が避けられないのは、複雑な社会に生きている宿命だ。自分の経験を振り返ると、事故を引き起こす要因は、「焦る」、「だろう」という見込み、「集中力の欠如」、「無知」などだ。どれも若さゆえの所がある。年を取ると、やはりそれなりの経験に裏打ちされた慎重さが増すために、出会い頭的な事故は少なくなるようだ。 加害事故だけは避けたい だが、どれだけ当人が注意していても、現代社会を生きている以上、事故に遭遇することはありうる。ただ、できれば加害事故だけは起こしたくないとの思いで、今は車も必要な時しか運転しないとの思いだ。かつての職場では、朝礼の締めやすれ違った去り際などに「では、また」の代わりに、「ご安全に!」があいさつだった。安全第一、注意一秒ケガ一生という標語が、ようやくこの年になってしみじみと実感できるようになった。 |