古くなるものとならないもの | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

私たちは今、歴史に残るであろう偉大な人たちと同じ時間を過ごすことができている。後世の人たちが興味津々で知りたがるような彼らの動静に、現在私たちは実時間で接していられる。何んと貴重なことか。

 

1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

今日の曲は「ノルウェーの森」です。

このブログの最下欄にリンクが張ってあります。

 

 

  なぜビートルズやユーミンの曲は古くならないか

 

ビートルズや松任谷由実の曲は、50年経っても古さを感じない。一方で、演歌は古くなる。例えば、登場時期がほぼ同じ頃の「ノルウェーの森」や「春よ、来い」と、「さそり座の女」や「長崎は今日も雨だった」を思い浮かべてみると、一目瞭然だ。演歌が流行歌というだけあって、流行するものは遅かれ早かれ陳腐化する運命だというだけのことではないだろう。

 

 

  オリジナル性が高いからか

 

それともリズムの違いだろうか。昔から聞き慣れていた演歌などは、メロディが主体で余りビート感はない。だからか?。一般に変化が早いものは、古くなるのも早いと感じる。車や電化製品のように新型が次々に登場したり、服装や髪型などファッションものは、旧式化がどんどん進む。ということは、ビートルズや松任谷由実の曲は、逆に言えば、非流行的で、厳然たるオリジナル性を持っているということか。とすると、その才能たるや凄いものだ。

 

 

  乗り越える人が現れない

 

歴史上の評価が固まったアインシュタインや夏目漱石だと教科書的でわかり易い。だが、生身の人間を目の前にすると、果たしてこれらの人たちをあの不世出の天才たちと同列視すべきか判断し兼ねる。が、後世になればはっきりするが、彼らは間違いなく教科書に載るような天才だと思う。

 それともう一つ、彼らの曲が古くならないのは、彼らを乗り越える曲が出ないからではないか。そういえば、彼らの新曲は大手レコード会社から流通されていた。今は、新曲の購入はインターネットネットでダウンロードするモノらしい。だから嗜好が細分化されるので、時代を劃するビッグヒットが生まれ難い。

 彼ら以降の歌手あるいはグループ(を最近はアーティストというらしい)は、特定のファンに特化するので、結果的に彼らを超えることはない。ビートルズや松任谷由実の歌が、少品種大量生産から多品種少量生産へと時代が変わった境界にあったので、彼らを乗り越える曲が生まれず、結果として古さを感じさせないままなのではないだろうか。いずれにせよ、才能があっての話だ。

 


▼Myオカリナ演奏

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ノルウェーの森 

(ビートルズ)