見ることと聞くこと | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

3月から4月にかけてのこの時期が、生活上、一年の内で一番変化の激しい時だ。卒業、入学、入社、転勤、昇格、引っ越し、退職等で、嫌でも身が引き締まる。それらがすべて過去の出来事となった私には、一抹の寂しさと懐かしさでそれらを思い返す特別な時期でもある。

 

1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

今日の曲は「カイト」です。

このブログの最下欄にリンクが張ってあります。

 

 

  サクラの開花ももうすぐだ

 

そろそろ桜の開花のニュースが出始める時期となった。4月に新生活をスタートする人は、希望と不安の入り混じった気持ちでこの4月を迎えることだろう。私のような年寄りにとっては、あの新生活をスタートする不安と期待を一身に背負った身震いするような気分は、もはや遠い昔のことになってしまい、3月から4月に変わっても何一つ変化のない生活にもすっかり慣れた。

 

  衰えを嫌でも実感する

 

 最近、楽譜を見たり車を運転する時に目の衰えを、また、TVを視聴したり他人に呼び掛けられた時などに耳の衰えを実感することが多くなった。これがあの、年を取るということの実態なのだろう。それにしてもその進行が年々早まっているようで、あと数年もすると・・・。

 少し明かりが不足すると五線譜上の音符の位置がとっさに識別できないことがある。たぶん実害が頻繁に出始める時が、私のオカリナ引退の潮時だろうと思っている。

 

  目が見えるようになって気付くこと

 

 徐々にものが見えなくなる人生とは反対に、人生の途中で目が見えるようになることで印象に残るのが、ジイドの「田園交響楽」という短編小説だ。ある日、牧師が貧しい盲いた少女を自宅に引き取ってきた。妻は自分の子供たちの世話だけで手一杯なのに、と迷惑がる。少女は成長とともに牧師らの教えの甲斐もあって、人間的にも魅力を増し、いつしか牧師を慕うようになる。 

 一方で、特に長男は少女に何かと手助けする。それが牧師には自分だけのものを奪われるように感じられ、何かと長男を娘から遠ざけようと計る。月日は流れ、ついに息子は娘と結婚したいというようになった。そんな時、人づてに娘の目は手術で直せる可能性があると聞く。そして、手術が成功し、目が見えるようになった娘が最初に知ったことは、世界が色鮮やかなことと、自分が牧師の家族の間にもたらしている葛藤だった。この後の展開はネタバレになるので、興味を抱いた人は、小説を読むか、あらすじをググってもらうと良いと思う。

 



▼Myオカリナ演奏

ダウンダウンダウン

カイト

(東京2020オリンピックのNHKテーマ曲)

(ドルチェ演奏)