先月のある日の朝方、たまたま某アニメを見るはめになり
しばし手を止めて見ていたわけですが
頭部がパンになっている某アニメです
幸い私が子どもの頃には世に広まっていなかったのか、例のように親に守られていたのか
私がそれを目にしたのはいくらか大きくなってからのことで
大きな子どもにはたいして浸透するようなこともなく、無論joni家がそれを認めるようなこともなくw
案の定、私もそれを好みませんw
どうも、筆者です
しかしながら、小さな子どもであったらどうであったか?と考えると恐ろしいアニメなんだろうとは思います
子どもがもっとも反応を示すらしい、命の泉を模したと言われるあの形は
ふっくら真ん丸くて、中央付近に赤く目印のように突起物がある構造
子どもはそれを吸い、命をつなぐため、本能的にそれを求めるようになっているとかですが
私が何のことを言っているのかはたいていの人が察することができるかと存じます
現に子どもはミルクが欲しいのではなく、それが欲しいというのは学術上でも明らかになってもおり
ある時期では、ミルクの出ないおっさんのそれを与えておいても満足するという結果も出てたりもしますw
(心理学の実験とはそういうものが多いので悪しからずw
子どもを吸い寄せる導入としてはこれ以上は無いくらい十分でしょうが
児童心理やら発達心理やらを学ぶ人にとっては、ある種卑怯な手口だと考える人も多くw
私にそれらを教えてくれた教諭はとても興味深い人でもあり、そういったものを心の底から嫌う類いの人でしたw
そういったアニメも嫌う中、子どもを買い物へ行かせている様子を撮影する類いのものもクソみたいに嫌っていた上
それをほのぼのすると思いながら見ている側の人間もクソみたいに嫌う教諭だったので、私はその教諭が大好きでしたw
ま、なにゆえそれを嫌うのかを話し始めるとこれまた長くなるので割愛しますが、私がものごとを根拠立てて考えないことはなく
どこぞの大学で教授になったその教諭も論拠もなしにポジションは得られることもなく
ダレも感情論で何かを言っているようなこともないわけですw
とりあえず、好感度アップのためにもあんまアレなことは言わないようにしときます
と、そんな私は彼女のゼミに入りたかったところですが、進路の関係で別のものをとらねばならなかったのが悔やまれるところです
んで、そのアニメの内容ですが
バイキンと日々言われながら集団から阻害されている登場人物がまず初めに出てくる
彼は一人で飛行物体に乗り、退屈である旨を言いながら「ハヒフヘホ」と言い、どこぞを飛行していた
すると、対向する方向からフラフラと飛んでくるクリームパン的な頭部を持った若僧がバイキンと呼ばれる男に対してぶつかってくる
驚いたバイキンは地面に不時着し、「何すんだ?」とクリームパン的な頭部の男に問いかける
動揺していたクリームパン的な頭部の男は「わるぎがあったわけじゃないや~い!」と大声で言いながら飛び立って行く
相手が逃げるためにバイキンと呼ばれる男もそれを追う
クリームパンの頭部の男はやはりうまく飛べないのでバイキンと呼ばれる男のほうが追いつきそうになる
すると、鉄火巻きの頭部をした別の男がその間に入り制止する
鉄火巻きの頭部の男は有無を言わさずにバイキンと呼ばれる男を攻撃し、追い払う
場面は変わり、バイキンと呼ばれる男とドキンと呼ばれる女が会話をしている
ドキンと呼ばれる女が空腹である旨を言い、何か食料を得てくるようバイキンと呼ばれる男に言う
やさしい男は何が食べたいかと女に問うと、女は鉄火巻きが食べたい旨を言う
そこで鉄火巻きの頭部の男のことを思い出したバイキンと呼ばれる男はその男を探しに出る
どこぞでその鉄火巻きの頭部をした男を見つけたバイキンと呼ばれる男はそれを捕まえようとするが
頭部がアンパンの男がそこへやってきてそれを止める
この物語は毎度毎度、最終的な問題解決は必ず暴力をもって行なうという決まりがあるようで
案の定またしてもバイキンと呼ばれる男はぶん殴られて、どこかへと飛ばされてしまう
そして、それ以外の登場人物は笑顔で「ワッハッハッハ」と大笑いし、物語は終わってゆく
と、およそ善悪の判断のままならないような子どもには見せるべきではない内容なわけですが
一体こういった類いのものを安易に子どもに与えるようなバ(ryな親は子どもをどう育てたいのだろうか?などと説教する気は無くw
私は子どもの頃から何かのキャラを特別に好むということはなく
環境的にもそれを容認されてもおらずw
できるだけ客観的に状況を精査するような分析癖も子どもの頃からあったために、大抵のキャラやヒーロー的なものは私を魅了することは無かったというのが実際です
戦隊ヒーローと言えば、ボスは革命の象徴のアカ
血や炎を表すアカは警戒色で信号では停止を意味するが、赤い軍隊が何をする部隊か? (例・赤軍
モスクワにはこの色の広場があるが、それが何を意味するか? (例・赤の広場
赤い旗はどういった団体のシンボルか? (例・赤旗
・・・そもそもテレasaが作ってる番組なのでまともなワケもなくw
オトナであればこれだけ情報があげられると何かしら察することができるでしょうw
平和や安息の象徴の青色のほうがヒーローに相応しそうな気はするのですがw
そんなアカが正義で悪を倒すという悪意のある構成はjoni家倫理委員を通るわけもなく
左巻きの陰謀であるという政治的な意図が理解できるようになるまでは子どもには辛いこともあったりもし
子どもとしては次の日の学校での話題に欠けるという点を解消することはなかなかできず
大抵の場合、私は人と話しが合わなかった幼年期でした
正確に言えば、今もなお私は人と話しが合わないのも実情ですが
ただ、これが悪かったと思うようなことは実はなく
安易な内容で周囲に同調しないという部分はここで強く形成されたために非常に重要であったと感じてもおりますw
メディアというもんは常に何らかの悪意のある意図を秘めており、それを鵜呑みにしてしまうような類いのバ(ryを私は嫌うので、その点でとても有意義に働いておりますw
以前の寒流騒動とやらでここはどこの国だよ?と言った俳優が干され
どこぞの関○連合やらS学会やらの支援を受けるゲーニンなどはイヤなら見るなと不特定多数の視聴者に対して平気で言う構造があるこの国では
自分たちの存在意義である放送という概念の公共性すら欠けており、公共の電波を使っているという自覚の無さやメディアによる洗脳という過程をも全く無視して未だにゴリ押しするのみです
教育は崩壊し、人材は枯れ
メディアでは偏向を常とし、どこぞの隣国ばかりを持ち上げるのみ
どこぞの国営放送では情勢が変わった今でもなお、寒流歴史大河ドラマとやらを垂れ流したりもしております
そんな放送局はcyuugoku様の犬とも呼ばれ、多くの日本国民に蔑まれてもいるわけですが
そんなメディアが教育面に影響を与えていないわけはなく、実際のところ本やTVに教育を委ねているのが現実の家庭での教育の実情
学校や塾以外では教育の機会は薄く、家庭はそのようには機能してはいない中で
30分の安息のために親は精査しないでそのような悪意のあるメディアを子どもに見せるが
アンパンの頭部の男がバイキンと呼ばれる男を殴れば何らかの問題が解決するのだろうか?
それとも、圧倒的に弱い立場の人を多数で虐げる行為でストレスでも発散しているのだろうか?
はたして、それらが正義か?
仮に、バイキンと呼ばれる男が何らかの愚行に及んだ場合、それに到った経緯をどうとらえるのだろうか?
その回では、食料を得るという目的で鉄火巻きの頭部の男を捕獲しようとしたわけですが、そもそもバイキンと呼ばれる男には常々どういった形で食料の配給やら自給やらが為されているのだろうか?
その社会には経済という概念があるのか?現物での支給か?
それとも、食うか食われるかの次元なのだろうか?
だとすれば、バイキンと呼ばれる男が何らかの食料を得ようとするのは悪ではなかろう
初歩的なことだけどもバイキンとやらだって生きている
この世界はいろんなものごとの連続で成り立っているように、食も連鎖で成立しておりますが
菌は人の体内にも居るわけだし、たんぱく質やらを分解して土に返るのも助けてくれているし
自然界にある必要な連続の一部分でもあり、毛嫌いするような事案でもなかろうねw
ヨーグルトやチーズも納豆も食うクセにw
つぅか、パンは発酵させてねぇのかよ?w
そもそもの初期の設定や構成に悪意があることは説明しなくても判断できるレベルですが
石油や鉄をストップしておいて、撃って出ざるを得ない状況に仕立てておいて、出てきたところをたたくかのようないつかの戦争のように
(・・・・日本に核が落とされたやつ
バイキンと呼ばれる男たちを阻害し、僻地へ住まわせておいて、食料もおそらく十分には与えていないような状況も作り
誘い込んでおいて最終的には殴って解決する
どこぞの印籠を出して成敗するじいさんの物語と変わらない構成w
本当にこの国は終わるんだな・・・と思った朝でございました
と、そんな私にも少しは好みのキャラ的なものもあるわけで
それが以前から述べているベイダー卿やDr.ハンニバル・レクターのようなヒーローがございます
なにゆえこれを私は好むのかという話しは長くなるために以前から避けておりましたが、ベイダー卿の話は一方的に投げかけても意味が通じそうもなさそうなために避けておりますw
あのストーリーは実に難しく、複雑な構成となっているのは私が言うまでもなく、世界中にそのファンが居るというのも有名です
無論、光の側を求める傾向の人もこれを好むようですが、このストーリーのメインの主人公はベイダー卿であるという事実は作者の意図の示す通りでありまして
一見すれば単なる十字軍の話しに見えるのでキリスト教的な文化に見える中、善と悪との境を揺れ動く主人公や多くの葛藤
精神性や剣術の形などが日本映画や文化の影響を受けているのも有名ですが、非常にアジア的な概念での構成要件が多い作品です
禅や道、儒学やら仏教やら、基本的な知識が無ければあれを読み解くのは少々困難なところもございます
無論、子どもの頃の筆者にはそんなもんは無く、本質は見えていなかったんでしょうがw
それでも子どもの頃から私はベイダーが好きで、ベイダーの映画と呼んでいた覚えもあります
そんなベイダーもねずみに買われてしまい、続編への期待も薄れてしまったわけですが
世界中の多くのファンの中にも同じ意見の人が少なからず居るようで、ルーカスの終焉だと世界中で嘆かれてもいます
で、レクターの件は以前に若干触れたような気はしますが、これも実際読み解くのが難しいところも多く
理解度を見ながら話さないと意味不明なまま終わってしまいますのでひとまず割愛しときます
何にしても、暗黒面を軽視したり、敵視するような行為は私にとっては実に侮辱的であり
尊大な尊厳をもそこに見出しているために敬意を覚えるところでございます
ものごとは循環するために、一面のみを見ているだけではその本質を見抜くことはできず
その循環を見事に描いたような作品をとりわけ好む傾向が強いという嗜好です
「24」であれば、バウアーが善と悪のトリアージを随時しながらストーリーが進行してゆく点が見所であり
ベイダーの映画においては、その善と悪が揺れ動く過程が見所となってくるわけでございます
一方的な正義や善などは実際は無く、功利主義だとか実利主義などは単に公益の最大公約数を導き出しただけであって真理とやらではないのは明白であり
これによって倫理や道徳や立法などは導かれますが、やはりそれは真理ではなく、価値の差し引き計算でしかないということで
それらのバックグラウンドすら欠けている文化やらキャラやら、もろもろのものに私は魅了されることなく生きてきましたw
そんなザンネンな人間でございます
有名な倫理学の思考実験に人をkoroして臓器を配るか?という懸案がありますが
健康な一人の人をkoroすことで複数の人間に臓器が配られて、結果的に幸福が訪れるという
一人のshiが複数の幸せを導くこの件は倫理上正しいのか?否か?という命題がありまして
自然shiや事故shiでない健康な人間を積極的にkoroす行為は罪ではないか?
しかし、臓器移植が必要な人を見goroしにすることは罪にはならないか?それは消極的にkoroす行為とは言わないか?
shiぬ人間の数が少ないほうがより多くの人間の人権を守るということになるのではないか?
・・・などなど、この実験がどういう帰結をしたかは知らないほうが安全ですが、けっこう有名なけっこう大きな議論にはなっていたかと記憶しております
昨年末に某ロ○アで起こった人食い事案はまさにカルネアデスの命題でもあり
山で遭難したパーティーが自然shiした仲間を食して生き延びたわけですが、こういった事案は年に数件は起こったりしています
satsu人ではないのは明白ですがshi体の遺棄だか損壊だかを問われていたはずですが、どの程度から緊急回避として自分を守る範疇なのか?
あるいは、過剰な避難となるのか?
食わねば生存者もshiんでいたかも知れず、雪山での体温はどんどんと下がっていったでしょう
飛行機が墜落したり、船が難破したり、いろんなシチュエーションが出てきたりもしますが、人生とは多難です
某大学のマイケル・サンデルの授業のような、制御不能になった暴走トロッコの問題では、一方のレーンには5人の作業員が残っており
もう一方のレーンには1人の作業員のみが残っている
自分が分岐点に居り、進路を替えれば5人の命が助かる
が、1人が犠牲となる
さて、どうすべきか?
この1人の人間を5人の命のためにkoroしてもよいのか?
それとも放置するか?
自分の手を加えないことによって責任を回避するか?
優先させるのは命の数か?
1人は若い作業員で、5人の群が年老いた作業員であれば、その順序は変わるか?
どう帰結させるべきなのか?
優先順位は何によるのか?
義務とは?責任とは?
カントの言う道徳によれば、意志や動機が重要だと説かれているが、自身の理性に添うか?何を保全するか?
その判断の基準は多様なのか?真理は一つなのか?
やはり、ものごととは多元的で複雑であり、多重に連続して交錯しているものであります
・・・と、下らない話はこれくらいにしておきまして
そんな私にも久しぶりに好きなキャラ的なやつができたのを報告するわけですが
以前、私の好きなキャラを聞かれていたのを未だに覚えているために、そういう話をするわけでございますw
確か・・・ベイダー卿くらいだなぁ・・・と消極的な返答をした覚えがありますが
ようやく見つけたこのキャラクター
世界的なヒットの予感が
・・・・・・するわけもなく
案の定、一部で好まれているのみです
某・オーストラリアの鉄道会社のCMで使われてるやつですが、私も一目ぼれw
イギリス連邦の国なので発想や発言が実にブラックなわけですが
鉄道会社がこれをCMに使える土壌がうらやましいところです
さすが『マッドマックス』の国
ボンド飲むやつなんか、飲んだ後動かんくなりおるけのw
“ Dumb Ways To Die ” - Tangerine Kitty ♪
日本語字幕入り↓
公式HP→某・メトロ
→某・wiki
ジャケ絵↓
絶対、悪意があると思われる絵w
と、これ、某-Tunesで配信されると一日たらずでトップ10入りしたとかで
歴史上、オーストラリアで最大のヒット曲とも言われております
ちなみに、釣り竿も網も無い場合、指や脚に食いつかせて魚を捕まえるというのは世界共通のようで
少し血を出してあげると魚は食いついてくるようです
私はしませんがねw
単に、子どもに残酷なものを見せるな!といった点でこれを批判するか?
それとも、最悪の結果を避けるために有効な手段の一つとして持つか?
思うに、免許の更新の際なんかに、退屈な時間をかけるのならば、事故の写真やshi体の写真を見せる方法がベストでしょう
これを定期的に行なえば、事故数は激減するでしょう (無論、精神的なダメージは増えます・・・
が、この国はその馬鹿げたshiを隠す国です
それはそれでもよいのでしょうが、現実を直視することや最悪の事態を避けるということは、場合によっては美徳という価値観のみでは語れないでしょう
学校などをまわって子どもたちに啓蒙してゆくのも有効でしょう
通常の人間における範疇を超えた力を持つということは、いかに破壊的で危険なのかは知る必要があります
車は元来satsu人のためのマシーン
弱者のために有効利用するか、それとも実際の効用通りに使うか・・・・
製作者の意図は何処にあるのか?
・・・少なくとも、こういったキャラを好む私などはロクな人間ではないというのは確かなようです
んで、まぁ、人気の尺度というものはいろいろとございますが、こういったカバーが多いのもその尺度の一つでもあるようで
ざっと見た限り、うんざりするほどありましたw
鍵盤↓
ギター↓
ウクレレ↓
んで、実演↓
たまたまこんなのも見つけたw↓
もはや、フザケ過ぎですw
初めの意図は無くなってしまってます
んで、当人たちの実際の演奏↓
キャラが立ったのか?この人らゆえなのか?
・・・それは、私にはわかりませぬ
あらこのボタンは何かしら?