既出ではありますが、自分のメインベース Greco MBシリーズ 5st改10st


人楽と音-090702_031117.JPG


バンドアンサンブルに、ちょっと特別な効果を醸し出すユニークな楽器

その反面、物理的に無理なセッティングをしているので楽器としての寿命は短いかも知れない。

現に定期的なメンテナンスを繰り返しているが、怠れば演奏に支障が出る程コンディションは悪くなる。


仮に予備を作ろうかと考えても、今の商品ラインナップから外れているので

本体を探すのだけでも一苦労であり、同等の改造を承ってもらえる程


今、自分が世間的に活躍していないのが一つ問題であり、とても簡単に頼める事ではない。


ましてメーカーサイドとしても、現行商品以外のものを宣伝されても現品がないので

万が一、「アレと同じものが欲しい」と言われたら困ってしまうだろう。

それが何百人もいれば立派な商売にもなるだろうが、そんな酔狂な人は数人だろう

本来、モニターと言われる人々はワンオフの特注品を使うのではなく

通常ラインの商品を使って魅力的なサウンドを作ってこそ、モニターとしての役割なのだと自分では思っている。


他の方がどうしていようが、それを否定したりもしないし、あくまで個人の考え方、意識の仕方である。


よってワンオフの楽器については、それを量産する試作や試験機としか考えていない。


楽器の魅力はその楽器でしか再現出来ない個性を持ち、


演奏する人間により、その性能が最大まで引き出す事が出来る。


良く似たものが何があるかと主観で選べばモーターサイクルだろう。


実に40年近く前に、当時主流だったハーレーやトライアンフなどの老舗メーカーの

最新鋭商品に対しておよそ半分の排気量と、更に安価な値段で

より速く走れるモーターサイクルを作り出したメーカーがあった。


コンセプトはたった一つ 「世界最速」


そしてそれを実現させた。

ただ、製品としてはバランスのいいものではなかった。

短命とは言わずも歴史にその名を残し、今でも熱狂的なファンを持つ。


そのパーツの一部をデザインにしたTシャツを先頃、手に入れた。

人楽と音-090706_013800.JPG


本当に好きな人がいるんだと、改めて感心してしまった。


ものを作る 使う 流通させる 結果を残す


それはこのぐらい指示されてこそ、ある種、正しいのではないかと思う。


いうなればこのぐらいにならなくてはいけないと


時々、こうやって自分に喝を入れてみたりする。

記録は塗り替えられる。

記憶は薄まる。

つまりはピークがある。願わくば、一瞬その両方のピークを経験したい。

本音を言えば何度でもね

今は目覚ましとして使っている、数年前に使用していた携帯電話

最近のモデルと比べると、大きくて妙に手になじむ。


ふと、メールのフォルダを開いて中のメッセージを見ると

懐かしいやら何やら恥ずかしいやら、悲しいやら楽しいやらの

複雑な内容となっていて、なんだかソワソワしてしまう結果となりました。


良くないですね…



急に林檎ちゃんの「正しい街」が聞きたくなり

爆音で聞きながらベースを弾いてみました。


が…


気持ちは晴れぬままで、思いっきり曇り空


タイミングの悪い思い出し事が最近の疑心暗鬼に拍車をかけて



色々と考え事のふりをしてしまいました…


あなたとわたし


世界中のあなたと特定の「あなた」

この世で一人だけのわたしとわたしの中のたくさんの「わたし」


一体、どんな関係なのでしょうか。


お互いが求めてるものやつながりはなんでしょうか?


このままつながっていて正しいのでしょうか?

正解なんてない事の答えを探すなんて

なんてナンセンスなんだろう…


人楽と音-080901_091256.JPG
人楽と音-hllqeyyc6554310~001.jpg
職場が変わったり ちょっと環境が変わったりした際に

仕事の休日の兼ね合いや状況を考えて 無理なく通える病院を探すようにしている。


基準としては一番大事な事は今までと同じ薬が同じ量出してもらえるか

これが最も重要な事


近年、薬事法の改正が続き、数年前と比べて

睡眠誘導剤の量はおよそ半分にまで減らされてしまった。


乱用や転売譲渡などによる事故などの影響もあり

このような現状となったのだろう。


非常に困ってはいるが、まだデッドラインを超えてないので

そこは工夫をして調整している。

まぁ本格的に足らない時は、面倒でも病院に足を運べば良いだけで。


そして相性のよい医者との出会いが重要だ。


幸いにして、ここ数年は良い巡り合わせで比較的満足しながらの診療を受けている。


隔週に一度の勤務の恐らくは自分より年上であろう、少し脂っこい女医と

カルテに書いてある処方箋リストを見ながら、その効果と特性について話をした事がある


もう10年以上、薬の種類を変えてないしそのブランドを信用している。

医者はそれを見ながら「この組み合わせでバランスを保っているのなら、ある種の薬物依存の類いかもね」

自分でも思い当たる節があるので、否定せず温和に笑って済ませた。



このような会話が出来て、それを冷静に判別出来る関係は 医者と患者としても稀有であろう。

こちらも過去も含めて、殆どの事を話している。

ある意味、信用から成り立つ会話であろう。


そして上記のような指摘をされると、

内心、ホッとする自分がいたりする。


心配はしてくれても理解はされてないのが、今の知人との関係だ。

友人とはそうではないが。

よって理解されるという事は快感であり、誤解されるという事には慣れてしまっている。


改めて 理解される喜びをかみ締める時がこんな時なのも皮肉であるが。