まだカナやんの「たとえ、どんなに…」に出る、「どうして自分に正直な恋じゃないダメなの?」というフレーズを覚えていますか?

最近ついに気づきましたが、「正直」と「恋」は、矛盾の関係にあって恋に落ちたらきっと素直になれない。逆に言うと正直なままにしたいならきっと恋に落ちていない!

恒例のように「恋」とは?というところ始まります。やはり大辞林からの定義。

恋:

異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじゃめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。

そして、

正直:
うそやごまかしのないこと。うらおもてのないこと。また、そのさま。

賢い読者なら「恋」と「正直」の定義を読むと両者は対立的なものだとすぐにわかると思いますが、

会いたい
ひとりじめにしたい
一緒になりたい

これらの「たい」達は何かを意味するのかというと、助動詞の「たい」の定義も見てみます

動詞連用形+たい:

話し手自身の希望を表す。

もちろん、希望自身はうそやごまかしなどを意味するわけではないけど、でも、その希望を実現させる場合ならどうなるんでしょうか?相手と会いたいなら巧妙な言い訳でそうするよう説得したり、独り占めにしたいなら相手のお好みに合ったりご機嫌を取ったり、一緒になりたいなら相手が何をしても自分から積極的に参与したりして、つまり、「恋」という言葉に内包される「たい」達を実現させるために、工夫を凝らすのも当たり前でうそやごまかしの運用も避けられなくなるのではないでしょうか?これらのうそは人から何かの金銭的な利益を得るとは限らないが、目的をうまく達成するためにはやはり、必要になるだろう?正直な気持ちで飾りもかっこよさも全然しなくて取り繕うことを完全に排除するというやり方は決して、恋にはなれません!

だから「どうして自分に正直な恋じゃダメなの?」と聞かれると、

答えは簡単、正直さは、恋のための「性質」じゃないからだ。両者は矛盾です。

でも、矛盾のことはいつも、次のような解決ができる。

正直な恋とは、恋する気持ちをいっさい持っていないこと!つまり、恋せずに恋するわけです。

どういう話なのかというと、恋という言葉の定義をこう転写して表すことができるようです。

異性に強く惹かれ -> 別に惹かれるわけじゃなくてもなんとなくいつもくっついている
会いたい -> 別に会いたいと思うわけじゃなくてもなんとなくいつも会える
ひとりじめにしたい -> 別にひとりじめにしたいと思うわけじゃなくてもなんとなくそばにいてくれる
一緒になりたい -> 別に一緒になりたいと思うわけじゃなくてもなんとなく一緒にいる

どこか見たものですよね?そう、カナやんの「好き」と「恋する気持ち」の中の、まだ「恋」に気づかない部分なのです。気づかないというものは最強の「正直さ」と考えるから。もちろん、反論を持って気づかない恋はそもそも、恋そのものになれるもんか?と思われる方もいるかもしれませんが、人はいつも、気づく、つまり、自分の「意識」に強くこだわってなんでもかんでも意識して初めて、自分のものになり始めるという思想。でも、この「意識」へのこだわりこそ、正直になれない部分!意識に上った恋の気持ちを必死に掴もうとして他人へのわがまま、疑い、恨み、憎みといった正直になれない気持ちも必然に浮かばざるを得なかった。

恋せずに恋するというフレーズの恋せずとは、恋をいったん意識した後でふたたびそれを否定するわけではなく、むしろ、恋を最初のところから一切意識しないこと。自分にとっての正しい生活を追い求め、その生活の中で出会った人々を1人1人大事にすればいい。もし偶然にその人たちの中にあの人が繰り返して姿が現れれば、この「正しい人生の流れによる繰り返し」こそ、正直な恋そのものになると、思い始めます。というのも、自分にとっての正しい生活に繰り返して現れる人は、きっと自分と同じ思想を持って大事にしたい人に違いない。

なんと言っても、正直な恋は同じく、なるようにしかならないことです。

カナやんはやはり、そんな正直な恋を一番わかっている人でしょう?歌うことへの恋はまさにそのもの。

別に歌手になりたいと思うわけじゃなくても、今は立派な歌手
別に作詞がしたいと思うわけじゃなくても、今はその等身大の歌詞によって大人気
別にファッションリーダーを狙いたいと思うわけじゃなくても、なんとなくファッションリーダーとずっと世間に認められている

そして、歌手としての日々の中できっとたくさんの素敵な人と出会いましたし、それらの素敵な人たちの中にきっと、誰よりもよく出会う方がいるはず!

カナやんにとっての正しい生活、つまり、昔からずっと歌うことが好きという気持ちで、デビューして以来、1人のアーティストとして活動している6年間で、正直な恋心を磨き上げて、確実に正直な恋へと進んでいると思います。