どんなものを作るにしても『気持ち』『思い』がある。
それがベルトコンベアー式に流れても『正確に』という思いがあるはずで。
私はかつてDTPの仕事に就いていた。
随分前で、グラフィックはMacintosh、と言われていた時代。PC作業の前に手作業を要求される部分も多々あり、イラストやレタリングなどの技術も要された時代。
月の残業が三桁になるような職場であったが、それでも、製作部署として独立していたので、守られていた部分もあった。
11年後。
身体を壊し職場を離れ、福岡に転居したが、ありがたいことに別ルートからイラストや筆文字の依頼など頂いて、暫く無理のない程度に続けていた。
今の職場に入るまでの間、色々あり。
『接客』『販売』を身に付けたいと派遣に登録、その後、現在の職場に社員雇用となった。
現在の職場では店舗での販売。
それが、事務所の製作スタッフが身体を壊したので、という理由から月の半分をホテル暮らしで手伝うようになった。
当然、店の店長は良く思わず、イヤミを言われる事にはなったが…女ばかりの職場のそれは本当にエゲツナイもので。毎日『嫁イビり』のように。
やがて事務所の製作の方が退職。本格的事務所勤務の為、転居。
すべて、自費。
別にそこに不満はない。
バタバタと、過ぎる日々。無計画な発案からの製作。考える余裕無く、コストを落とすため、とにかく自社で何でも作る。
しかし、ここに落とし穴。製作は私ひとり。
店舗数は20を越え、その配布印刷物の作成からウェブ入稿。店内ポップ、イベントポスター、商品パッケージ、商品チラシ…等。通信販売の電話、取次電話の対応しながら、所謂事務員として座り、熟考する余裕などなく『とにかく作る』日々を過ごしていた。
この会社には“校正”部署がない。
つまり、制作者のミス、としてしまうのだ。
新しい商品が生まれるまでには、商品名や材料、ターゲットなど…様々なミーティングを繰り返し、内容をつめていく。
…のが、当たり前なのだが。
それが一切ない。
『○○の商品作るから』
これがパッケージデザインスタートの合図と言っても過言ではないのだ。
狭い事務所内で新商品の発売日はおろか、本当に発売されるのか?すら、曖昧なまま進む。
内容物の進行状態が判らないまま『パッケージデザイン待ち』『デザインが遅いから発売が遅れる』と言われる。
商品名を問えば『適当に』と答えられ、デザインすれば『違う!』『変!』と突き返される繰り返し。
作ったものがお蔵入りなど、当たり前で。
二転三転し、漸く仕上げた挙げ句の果てには『どうせすぐにリニューアルするんだから』と言われる。
気まぐれ、気分次第。
ブームの様に攻撃対象をつくり口撃で攻め立てる。
ブームに当たれば形あるものを作る人間は、そのモノとともに格好のターゲット。
デザイン事態が使い捨ての昨今、無いことではないだろうが。材料を与えられず暗中模索の繰り返しで生み出すものは、使い捨てにすらならないのだ。
表示義務内容など20年勤続の人間が知らず、こちらに確認する、などと。
何度、公機関に電話問い合わせをした事か。
そこで間違いがあっても、制作者の責任、なのだ。
賛辞がほしい訳じゃない。
無駄な仕事を繰り返し、その上に浴びせられる言葉に心を削られないでいられるほど、私は強くもない。
『責任のある仕事をしたことがないだろう』と。
吐き気がした。
私が、自分の作る物に、仕事に、エネルギーを注いでないとでも?
元々『怖い』『感じ悪い』と言われていた事務所。
電話もニコヤかに元気良く、を心がけていた。
疲れた。
女性週刊誌のように自分の周囲のゴシップを拾いあつめ、愉しそうに話す姿にウンザリだ。
自分は違う、自分は変えるという態度を取って、周囲の人間を煙に巻く様にも飽き飽きした。
あなた方のような考え方。信頼と信用と優しさを内部の人間にすら持てない方々は、総ての労力を『金』で買って片付けてください。
ツクル。
そのエネルギーを、せめて、『金』という代価で買ってください。
私は気持ちを込めたものを作りたいから。
1人のため、小さなひとつにも、気持ちを込めたいから。
抉り取られた、大切にしていたそこを、漸く思い出したところだから。
あなた方のためには、もう、何も作らない。