part①では死そのものを避けることができないと説明した。


part②では死を避けることができないから受け止めたらどうだろうと説明した。


<死は、死者よりも、死にかけた者に、よりつらく、はげしく、また本当にぶつかっていくんだ>モンテニュー


<本当の死は生きていて、死んだ自分を嘆いたり、立っていて、横たわる自分を悲しむことだ>ルクレティウス


背中や腰が曲がってしまったら、重荷を支える力が少なくなるけれど、我々の精神も同じことだ。


敵の力に対抗して、精神をしゃきっと立ち上がらせないといけない。というのも精神は敵を恐れている間


は、やすらかでいることなどできないけれど、ひとたび自信がつけば、不安と悩みも、恐怖も、ごくわずかな不


満も、自分の中に宿ることなどありえないと自分に言い返せることができるからだ。


こうした精神は、みずからの情念や欲望の支配者となり、貧苦、恥辱、貧困、その他のあらゆる運


命のわざわいの支配者ともなる。できることならこの支配を手に入れようでではないか。


これこそ本当、そして最高の自由であり、


暴力と不正に立ち向かい、よく生きるための力を与えてくれるのだ。 


そしてこの自立した精神こそ、私が言おうとしている究極の快楽である。


この自立した精神で今後の人生を楽しもうではないか


飲んで、踊って、人生を楽しめながら、多くの人をHAPPYにさせようではないか。


以上 


<これは宗教ではない、哲学である。

哲学を学ぶことは、死に方を学ぶことである。

死に方を学ぶことは、生き方を学ぶことである。

生き方を学んだ者は最高の自由を味わった者である。    

最高の自由を味わったものだけが、究極の快感を味わっている。>R.majid