「ZETMAN」、ちょーっとなかなか微妙でした | heliumvoice-表

「ZETMAN」、ちょーっとなかなか微妙でした

「ZETMAN」が微妙に思えるのは、きっと私が「デビルマン教」の信者なんだからだと思う。

「デビルマン」からかなりの影響を受けているというか、オマージュですといわれても納得できる「ZETMAN」は、「人間にとって正義とは何ですか」だったり「地球にとって正義とは何ですか」といった、正解の出せない設問のまわりをぐるぐる廻ってて、それは「人類=悪」という明解な回答を示した「デビルマン」に比べるととっても現代的な作品だと思います。

とはいえ、人類は自然の体系の中にあって「悪」の存在であるという「デビルマン」に比べ、プレイヤーが人間の経済活動の中で産み出された存在である「ZETMAN」は、人間の「悪」がアマギのおっさんに代表させられていて普遍力を持ってないところがちょっと話がちーせーんじゃない?って印象も受けてますけど。

ま、こういうこと言うのが信者ってわけです。

結局、主人公は高雅でしたね。
高雅を襲う数々の試練と、そのことごとくに「ハズレ」判定を出されてしまう高雅がもう不憫で不憫で。
それでもラスト、その想いが理解され評価されていることを示すところが描かれていたのでほっとしました。

プレーヤーサイドのヒエラルキーというか、理由なくド強ぇー灰谷みたいなキャラ出してくんのはどうかって思いましたけど。けっこう色んな作品に出てくるんですけど、とくに敵役に多い「私はなにもかもお見通しなのだよ」キャラってそもそも存在に根拠が乏しいって思うんだけどね。
最終回の、最終体型に進化したジンに向かって、またここでも「ハッピー・バースデイ、デビルマン」って言うのかと思ってハラハラしましたよ、アゲーン。
っちゅーか、精神的には絶対言ってたよね。
それがこの作品の限界かな、って気もする。
範とする「デビルマン」の版を間違えてないか?


あ、いや、だから細かくいうと私は「デビルマンは週刊少年マガジン連載分しか認めないぞ」教の信者なので。

じゃ、そんなことでte