こんばんは、Heleneです
この数ヶ月くらい、自分の限界というか
自分の中の枠を超えてゆくような出来事が色々起こっているような気がする。
その中には、Amazon Kindleでの出版だったり、カクヨムでの小説の投稿かもしれないし
その中の一番大きなところは、インド行きを決めたことかもしれない。
インドという国は、旅行の目的地として、私はほとんど考えたことがなくて
でも、ひょんなことからヨガを始めて、その関係でインドツアーに同行することになったりという流れだったりする
未知の国であって
歴史や自然や風俗だけじゃなくても
スピリチュアル的にも何かがあるんだろうなっていう予感がある。
(3週間近くインドに行くことになるし、ベジタリアン状態になるし、礼拝とかにも出るだろうと思う)
こういうタイミングで、ワークショップの受講生さんでインドに詳しい方がいらっしゃって
ワークショップの休み時間とかにいろんな話が聞けたし
その方のお知り合いの方で日本語の話せるガイドをされている方がいるっていうことで
後半のプライベートの旅行の手配をお願いすることになって
旅行の計画をメールで相談させていただいていた。
計画を相談していて、ヨーロッパとは全く異なる世界で
ガイドブックなんかを見ながらあれこれ考えるんだが
そもそも、インドに旅行するっていうのが
10年前の自分には考えられただろうかって
多分、思いもしなかったと思う
それで、ぼんやりと感じたことなんだが
自分の小さい脳で考えて、こうなりたい、こうでありたい、これを実現したいと思うようなことよりも
遥かに大きな流れ、意思に乗るということの大切さ、というのがあるのではないかってこと
明日、ブルース・モーエン・メソッドのレベル1の二日目があって
レベル1では意図を定めるとか、アファメーションに関して学ぶのだが
そして、それを教えている立場なんだが
確かに、物質的なレベルの、非常に低いレベルでの願望実現っていうのは
例えば、私の場合は、
スーパーのくじ引きで一等を当てるとか←常連だった
駐車場で便利な場所がいつも指定席であるとか←家族に不思議がられている
日常の中で当たり前に便利に使っているし
自分が自由気ままに生きるためにとても役に立ってきたと思う
しかし、結局は、愚かな私の脳が考えるような願望、叶えたいこと、こうでありたいということなんていうのは
私のエゴに過ぎなくて
その枠に囚われているときには、私の枠を超えてゆくような出来事っていうのは起こらないような気がする
何かを望むということは
確かにそれはそれで素晴らしく幸運なことなのかもしれないけれど
それは自分の知る範囲の中で起こってくる出来事なので
限界を自分に設定しているのかもしれない
こうなりたいという欲望を捨てて
何が起こってもOKだし
自分にとっての最善が常に宇宙から与えられているのだっていう信頼を
この世界に対して持っているならば
天にすべてを委ねてしまえるならば
自分の限界を超えて
その先へと進んでゆくことができるのではないかと思ったりもする
決められた、というか
自分の枠の中に収まったこじんまりとした願望実現っていうよりも
自分の枠を打ち壊して、全く別の視点を持った
新しい世界を見せてくれる未来へと繋がってゆくこと
本当は、そういう限界を超えてゆくことをのぞんでいる自分がいる
そこで大切なのは
今の自分にとってはもうふさわしくない
自分が望まないこと、やりたくないことをNoと言える勇気だったり
何か不必要なものを切り捨ててゆく勇気なのかもしれない
■1月27、28日(土日)ブルース・モーエン・メソッド レベル2【パートナー探索】■
新橋&Zoomで開催します
今回、何名か集まっているので、グループでの探索をしっかりと体験いただけるんじゃないかと思います。
まだ数名参加可能です。
受講、練習参加ともまだお申し込みいただけます。
参加ご希望の方は、メッセージやメール【info★i-fioretti.com】でご連絡ください
★を@に変更ください。