母の日。
優しかった母を思う日。
母のことを書き留めておこう。
私の子供達もあまり知らないこと。
 
私の母は飛騨金山の農家?
(ちょっとここ曖昧、大きな家だったけど)
6人兄弟の末っ子で生まれた。
上の姉がお嫁に行った先の親戚に
子供がなく、母は小学校1年生で
養女として
飛騨高山の知らない家に
もらわれることになった。
(姉は嫁ぎ先での点数稼ぎのために
妹を差し出した形)
姉は「お父さんが校長先生で
お母さんも岐阜師範を出た教師。
お金がたくさんあるから
なんでも買ってもらえるよ」と
母を、そそのかした。
 
小学校1年生・・・もし自分だったら、
もし我が子だったら・・・と思うと
心が張り裂けそうになる。
実の両親も、「淋しくて無理だったら
戻ってきたら良い」と、まだ小学生の母に
実家の宛名だけ書いた葉書を持たせ、
「辛くなった時にポストに投函しろ。
すぐに迎えに行くからな。」と言って
泣きながら見送ったらしい。
 
高山の両親は、裕福ではあったが
厳格で、教育に携わっていたが
子どもの気持ちがわからない人達で
すぐに淋しくなった母はポストに例の
葉書を投函した。覚えたてのひらがなで
むかえにきてください
と書いて。
もう家に帰れると舞い上がった母は
高山の両親に
「私、もうすぐ迎えに来てもらうの。
むかえにきてくださいって葉書を
出したから笑1」と言ってしまった。
なんとか懐くように必死だった2人は
驚いて、実家に連絡した。
「今、大事なところだから
迎えに来ないでほしい。」
と。
母は、きっとそこから毎日毎日
実の両親が迎えに来てくれる日を
(今日かな?明日かな?)と
ずっとずっと待っていたけれど
とうとうお迎えには来てくれなかった。
悲しい
母の気持ちも、実の両親の後悔も
今だったら全て想像できる。
 
そして母はバイオリンを習ったりして
当時のお嬢様っぽく成長していった。
 
ぶーぶー  ぶーぶー  ぶーぶー  ぶーぶー  ぶーぶー
 
高校生になった母は栄養もよかった
せいか、丸々として
坂道だったら転がったほうが早い
という感じの見た目だったらしいが
そんな母に父が一目惚れした。
父も教員で兄弟の多い家の末っ子
だったので、高山の家に婿養子に
入った。これは高山の両親にとっては
願ってもない話だったであろう。
しかし、私の父は同じ教員でもタイプ違い
型破り、自由を愛する、山猿のような人
だったので、両親とは全く合わなかった。
母は、父と両親との間でさぞ気を
遣ったことであろう。実際、私と弟のことで
「三つ指ついて挨拶しない。
お前の躾が悪いせいだ。」と
いつも母が𠮟られて辛そうだったので、
私も高山ではお行儀よくを心がけていた。
三つ指ついて挨拶していたこともあった。
 
母は小学1年生から、
ずっとずっと他人に気を遣い、
辛く淋しい思いをたくさんしたのに
本当に優しくて慈悲深い人だった。
いや、辛く淋しい思いをした人
だったからこそなんだろう。
いつも私の選んだ道を応援してくれた。
子供が幸せであるようにと
いつも祈ってくれた。
 
そんな貴女に育てられた私達は
幸せ者。
 
母の日、本当にありがとうブーケ1