父は 鮎つりが得意だった。

友釣りという漁法で 

おとりの鮎を1匹つけて放ち

縄張り争いを仕掛けてきた

鮎を釣る魚魚

 

父は鮎が川の底のコケを食べているか

どうかをみるために

パンツ1枚で川にもぐり

「ここにはいるぞ。」

と言いながら嬉しそうに竿を伸ばす。

 

足に自作のわらぞうり、

パンツ1枚で岩の上に立つ父は

真っ黒でなんだかたのもしく

川の猛者みたいだった。

 

そしてまた 

釣りも上手かった。
 

いつもたくさんの鮎をとってきて

受け取った母が台所で

はらわた(内臓)を出し

食べる分だけ残して、

あとは冷凍する。

 

そしてその鮎を 

同僚や親戚にふるまう酒席が

夏の間に何度か催され、

お酒好きの父には最高に楽しい時間だが

母はてんてこ舞いだった。

私も小学生ながら手伝った。

 

父は自慢のうるか(鮎のはらわたの塩辛)を

「これは何年もので、これはその前の年のやで」

などと自慢しながら 

鮎とお酒を皆んなに振る舞う。

父にとっては

まさに至福のとき。

 

もちろん私達も鮎には困らなかった。

いつも夕飯には鮎が並んだし 

母は塩焼きがとても上手だった。

 

正直、「え~また鮎~?」って 

思ったこともあったし。

 

魚 魚 魚 魚 魚


 

父が他界して

鮎は縁遠いものになった。

 

母がポツリと言った。

 

「あの頃いつでも鮎があって

ぜいたくやったね。」

 

本当に有り難い鮎だったことに 

ようやく皆、気づいた。

 

夏になると思い出す

鮎の香りは、きゅうり🥒の匂い

 

それは

夏の日の父の匂い

 

今更だけど

「ありがとうね」

 

hekasao☆

 

 

 

そして 

 

この父の鮎の話は

『鮎』の文字を

『自然薯』に変え

秋へと繋がっていく笑

 

ちなみに鮎カケ(鮎の友釣り)は

短気な人ほど上手いと言い、

まさに父は 

プロみたいな人でしたcrown

「売って欲しい」と料理屋さんから

お声がかかっても断り

ただひたすら振る舞った・・

 

そして 

空き家になった私の実家の池には

生前父が使った『おとり鮎』が

今もまだ泳いでおり。

 

10年以上も鮎が池で生きるなんて

本当に珍しいことらしくて。

 

淡水魚の専門家の方も

そんな話は聞いたことないとか。
 

鮎好きの父の魂が

そこには生きているようで魚